投稿者: akiospirit

  • 驚くほど役に立たない

    付き合っている女の子が彼の母や姉に初めて会った時の、「こんな男のどこが良いの?」は必ずその母の息子、姉の弟である彼の目の前で発せられる。即座に。それは全く聞いていて心地の良いものだ。とても幸せな気分になる。自分に家族がいることが誇らしく思える。どんな言われようにも愛が。習慣のような。

    開けた戸棚から食器を両手で取り出して、そのまま肘で戸棚を閉める仕草に母親の生活をみる。覗き見るようにして知る。習慣があるから簡単に閉じられる。ただ、その直後、貧血で倒れることは習慣ではないから食器が割れてしまう。

    アルノー・デプレシャンの『クリスマス・ストーリー』を繰り返し観ている。家族がクリスマスに集まる話。

    家族は繰り返し顔を合わせる中でお互いのイメージを作り上げていく。すごく長い時間をかけてきたからお互いのイメージはかなり固定されている。性格ではなく、イメージ。言葉にできないそれは、多分いつまでも変わらない。僕はこの話の次男のアンリ、マチュー・アマルリック演じるアンリに憧れる。

    時計の刻む「チクタク、チクタク」には「強弱、強弱」の拍子が、そう聞こえるからそう表現される。だけどここには「原因→結果」のわかりやすい方向へ流される認識があるんじゃないだろうか。生きていることにはそんな拍子はどこにもなく、心臓はチクタク言わないでドクドクしているだろう。本当は「チクチク」しているだけな時計を「チクタク」する人間。前へ前へと推し進める拍子の力。

    勝手なリズムは拍子でしかないから本当のリズムは習慣にある。

    朝4時に生まれた僕。夕方4時まで寝ちゃう姉。姉の息子の睡眠薬とワインに酔いつぶれて倒れて上階の部屋まで父親といとこに運ばれ、真夜中12時過ぎにはっと目覚めて、そのまま窓を開けて雪の降るなか壁伝いに一階まで下りていくアンリは雪をみて爽やかになる。屋上の柵を越えて身を乗り出して雨を浴びる僕。

    父から姉に向けて読まれるニーチェ『道徳の系譜』のミツバチと鐘の話。ミツバチが蜜を集めるように知識を貯めていくことを願うだけで、体験を顧みない人間。鐘がなった後に「今が何時か」と「今、何を体験したのか」と考える我々は知の探求者ではない。

    後から前へ、結果から原因へ、原因が結果を含みつつも、原因と結果は違う、違わないかもしれない。親から子供は生まれるんだけど、子供は親を含んでいる。親は最初から生まれる子を含んでいる。何れにしても降りては登り、登りつ降りる。窓の外から降りて即座に家に帰るように動き続ける「役立たず」のアンリ。

    僕は時計をしない、家の鍵は閉めない、すぐ会社を休もう。有益な拍子を刻まない。

    Filmgroundといういまはなきメディアプラットフォームの、「時計」というお題の公募企画に送った文章。ウェブメディアはサイト運営者が更新をやめることを決めることで、一方的に消えて一生読めなくなることは色々な意味で大変哀しいので、自分の意思でしか消えることのないここに載せる。

  • 2026年1月から3月に観た映画など


    1月

    • 『エディントンへようこそ』アリ・アスター
    • 『おくびょう鳥が歌うほうへ』ノラ・フィングシャイト
    • 『COW/牛』アンドレア・アーノルド
    • 『アメリカン・ハニー』アンドレア・アーノルド
    • 『水の中で』ホン・サンス 💤
    • 『アラヤシキの住人たち』本橋成一 ☆
    • 『旅と日々』三宅 唱 ☆
    • 『28日後…』ダニー・ボイル
    • マリー・メンケン/マージョリー・ケラー作品集 
    • 『の方へ、流れる』竹馬靖具 △
    • 『ヴィタリナ』ペドロ・コスタ △

    2月

    • 『犬みたいな日の午後』イ・ミニョン
    • 『恋愛裁判』深田晃司
    • 『ヤンヤン 夏の思い出』エドワード・ヤン △
    • 『私たちの好きな八月』ミゲル・ゴメス ☆

    3月

    • 『センチメンタル・バリュー』ヨアキム・トリアー △
    • 『私たちの一日』ホン・サンス ☆
    • 『OCHI! -オチ-』アイザイア・サクソン 
    • 『月あかりの下で ある定時制高校の記憶』太田直子 ☆
    • 『SHARING』篠崎誠 ☆
    • 『ガガ 英雄たちに栄光あれ』ピョトル・シュルキン 💤
    • 『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』ジョシュ・サフディ
    • 『パーマネント・ブルー 真夏の恋』山根成之 △
    • 『そして彼女たちは』ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ

    ホン・サンスの映画がもういいかもなと思ってたが今たくさんユーロでかかってていつでもやってるからつい観てしまう、そして『私たちの一日』はかなり良かった。老いた後の一人の時間の寂しさは簡単だけど底抜けに自由な明るさが観れたことが自分としては嬉しかった。篠崎誠の映画はとがちゃんから『おかえり』のことを聞いて気になっていたが既に上映は終わってた。迷いつつも『SHARING』を観に家から下高井戸シネマまで、なるべくグーグルマップをみないようにしつつ歩いていく。1時間くらいでつく。時間があるので二回目の月見湯温泉。1回目は薫と行った。銭湯はコミュニティになっていて羨ましい。身体を洗っているときの自分の腹の肉がおじいさん、あるいはとても太っていた人が急激に痩せた時の余った皮と脂肪の感じがあるのでダイエットを決意したのだ。米を冬は食いすぎてしまう毎年。もう毎年ダイエットを決意したり考えるのがめんどくさいから、食いすぎることを生涯やめてしまおうと思う。春キャベツは旬で、春キャベツを食べ始める季節は気分も良くなっている。といっても最近は冬の季節も落ちることがほとんどなくなっている。『SHARING』は顔が大写しされているシーンが多くあったが、映画を観ている実感が強く感じられて、今自分やここにいる人達は映画を観ているなー!と思えた。そういうとき映画を観ていることがとても嬉しく感じる。大体後ろに座るから他の人の後頭部とともに映画を観ている。

    顎関節症が酷くて慢性的に悩んでいたんだけどついに激痛や口が開けられない状態になったから、こりゃいかんと思い、『噛み方が9割 顎関節症は治せます!』という本と『1分神あごストレッチ』という本を図書館で借りて読んだ。前者は前歯から噛んで、順々に後ろの臼歯に送っていく嚙み方を学ぶ。顎を上下だけでなく、前後に動かすことが非常に重要である、ということ。前歯を使って噛むことで必然的に顎が前後にスライドする。後者の本はほっぺを伸ばしたり舌を回す運動を推奨する。これを風呂で毎日やって、前歯から噛むことでマジで改善した。身体の不調は治せる!と日記に書いてあった。前者の本のタイトル、金川さんが「9割とかいう系のタイトルね」と笑っていた。

    ≪GOOD THINGS≫

    • 夜仕事終わって新宿西口のよもだそばくって駅に向かう道でイチャイチャパブの客引き兄さんが客引きをしてくる。うっすといって通り過ぎると、「右手に見えますはキタナシュランです。」と後方からなんか言ってきて、???となったが右を見ると、使われなくなっためちゃくちゃ汚い業務用キッチンが道端に放置されていた。
    • お茶割は飲みやすいから無限に飲めることをいいことと思っていたが、炭酸系のお酒は飲みづらいから少しは量が減り、スピードも減り、お金も安くなるだろう、ということに気づいた。
    • 自分で撮った写真をセブンイレブンのネットコピーで2Lサイズに印刷すると非常に楽しい。
    • はじめて神宮球場に行って野球を観たが、やっぱり野球はそんなに好きじゃないからもう行かないなと思えたこと。https://youtu.be/A19OBWQPgyQ 一球一球に一喜一憂
  • 2025年10月から12月に観た映画など


    10月

    • 『天使の分け前』ケン・ローチ △
    • 『Ruffn’ Tuff』石井 志津男 〇
    • 『ベルファスト』ケネス・ブラナー ☆
    • 『ジュリアン』ハーモニー・コリン ☆
    • 『ビューティフル・デイ』(『You were never really here』)リン・ラムジー △
    • 『グランド・ツアー』ミゲル・ゴメス △
    • 『ホルモンズ』ベルトラン・マンディゴ
    • 『ワン・バトル・アフター・アナザー』ポール・トーマス・アンダーソン 〇
    • 『女性たちの休日』パメラ・ホーガン △

    11月

    • 『ドリー・ベルを覚えているかい?』エミール・クストリッツァ ☆
    • 『サタン・タンゴ』タル・ベーラ ☆
    • 『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』ウェス・アンダーソン
    • 『アニキ・ボボ』マノエル・ド・オリヴェイラ △
    • 『黒蜥蜴』深作 欣二 △
    • 『けものがいる』ベルトラン・ボネロ ×
    • 『ウェディング・ベルを鳴らせ!』エミール・クストリッツァ ☆
    • 『ジョン・バージャーと4つの季節』ティルダ・スウィントン、コリン・マッケイブ、バルテク・ヅィアドーシュ、クリストファー・ロス ☆
    • 『94歳のゲイ』吉川 元基
    • 『グッド・ワン』インディア・ドナルドソン ☆
    • 『猫を放つ』志萱 大輔 △
    • 『猫が行方不明』セドリック・クラピッシュ ☆

    12月

    • 『Lilypop』青石 太郎
    • 『千と千尋の神隠し』宮崎 駿
    • 『手に魂を込め、歩いてみれば』セピデ・ファルシ ☆
    • 『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』ジェームズ・キャメロン ×
    • 『苦い果実』カマラ・カマロワ Zzz

    最近観た映画の話になるが、アンドレア・アーノルドの『アメリカン・ハニー』を下高井戸シネマで観ている途中に音楽とは切なさであって、さらに映画もなんでもこの「切なさ」が感じられないものは僕はあまり関心を持てない。『COW』も観たんだけど、矛盾というのは決して二項対立ではない、寧ろその逆。動詞ではなく、状態であるようなその「人間として」生きていること自体が持つ矛盾性(例:他の肉を食うこと、金を稼ぐためには全員がクソみたいに不要なことにあえて価値を見出してやっていくこと⇔光・音・風などがめちゃくちゃに気持ちいいこと、など)があらわれない、というかそういうことを持っていない人の映画は虚しく響く。「かぽーん」とね。それもまた「虚しさ」という価値で賞賛されていく。

    例えばたまたま観た『ホルモンズ』における狂気はななまがりのネタ「架空下ネタ『ギンモ』」と等しく、『ジュリアン』における怖さは切なさがあった。リン・ラムジーの映画は綺麗でスタイリッシュだからこその虚しさが強い。最近の黒沢清の虚しさに醒めるのと同じく。『女性たちの休日』という映画は綺麗さ・正しさ・重要さに近づく人々の「キレイさ・正しさ・重要さ」ならではの押しつけがましさ、距離感のバグ、いいものはいいからいいでしょう??、という厚かましさを感じてしまった。(ユニセフハウスで『手に魂を込め、歩いてみれば』の写真展を見にいったときにもボランティアのスタッフや来ているおばさん連中にそれを感じた。)矛盾を起点とする切なさを自分に湛えることが足りていないのではないか。

    ではなんのために矛盾/切なさを湛えることが大事であるのか。それはそれがないと他者を非人間化することが簡単に行えるからである、というのが直感だけど、その間を埋める作業はまた今度やろう。このように書くことで無意識にその問題について自分で考えが進んでいくから。

    『けものがいる』のベルトラン・ボネロという監督のことは全く知らなかった。観た後、けっこうやっぱ色々考えて、すごく面白かったようで、実はそれはすごく最悪な気もして、けっこう重要な作品だろうと思う。『エディントンへようこそ』も最近観たんだけど、これも同様に社会課題をフィクションで描くという点で通じているし印象はかなり近い。実際にある恐ろしいこと・状況や課題・新興的な現象に対して、敢えてアプローチして意外にそこから何も派生や創造は見られず問題を問題として描くことは、それは正しいことなのか?と思う。これは単に映画監督、創作、芸術作品であるという有利な立場からの不当な「イジり」ではないのか、と思う。そこには均衡がなく「こんな問題を問題としてみれている、客観的に描けているだろう」という驕り・イキリが感じられてしんどいのだ。真に問題を問題として扱うならば、それに対して何らかの新しい捉え方やお前が良いと思う方向性への解決策の芽生え程度でもいいから提示が必要だろうと思う。『けものがいる』ではインセルとされる代表的な男性の実際の言動が活用されているけど、それが問題として処理されて終わる。

    『手に魂を込め、歩いてみれば』を観て、イスラエルがパレスチナ、ガザ地区に対して行っていることは明らかに100%悪であると、何に変えても、どんな言い訳や前提があろうと構わない、100%間違っていると思える。大きなことはできないが、ユニセフに募金をする。そして『とるに足りない細部』も読み、さらに人間が抱える矛盾を強め、想いを馳せる。

  • 企画:知らない人同士で釣りを始める

    誰か釣りを始めないか多摩川あたりで。知らない人同士で、まずは釣り竿を買いに行くところから。そして話しましょう。

    第一回 初心者同士、釣竿を買いに行く

    僕はほとんど釣りやったことない初心者です。昔バス釣り漫画にハマっておもちゃみたいなルアーやワームを集めていました。釣りに行った経験は小学生の時に二回くらいしかない。

    できないままはじめましょう、釣り餌とか魚とか触れればOK。みんなで、試行錯誤を、知らない人とやりたい。店行って違うなと思ったら買わずに他のことしてもいいですね。

    気が合いそうな知らない人、釣り始めたいなと思ってた人、興味あれば下のアドレスに連絡ください。

    私含め奇跡的に3人以上集まったらやりましょう!

    akiospirit57@gmail.com


    (追記)

    1名から連絡ありました!もう1名から連絡あったら実行します。是非。

  • ニューギンライト

    ニューギンライト

    2025年1月

    「趣がある」と評してくれたこと今もわたしを少し象る

    最新号プラスチックの装甲のそれ自体への傷みが目立つ

    全うに感じられない気がしても重ねた脚を解かないまま

    向ける背に新聞捲る音を浴び文字列に入る時間をかける

    音だけのくしゃみが消える脱衣所の四隅を巣食う黴のつく息

    出てきた後今臭いぞと言った父いや確かにと改める僕

    階段を追い越していく数十の自分の跡を汗拭き見遣る

    配膳猫から何らかを受け取るときみんな等しく情けなくなる

    プラ製の蓮華の自重でネギ集めこの一食への態度を示す

    風呂の蓋を閉めただけの鍾乳洞友人の背もこんなに近く


    水上に開く東屋に籠もりたる香りは時も光も越える

    尿のまだ黄色い僕はこのままじゃダサい開いて透明を待て

    包丁で無塩ナッツを刻めると思ってできて感じた気持ち

    毛を抜く度こんなとこまでよくもまあ埋まっていたのといつも嬉しい

    起き抜けの閾値を超えた能力の発露の証ではない鼻血

    雨あがり洗濯物の水分に含まれる春が夏へと変わる

    薄暗の強い麻酔に半目開け譫言を置く子どもに還る

    十六個ここから見える開くドア怪しい部屋をひとつに絞る

    眼はなにかをしっかり睨みつけるようでもあり相手をさがしさまよう

    欲望をゆくゆく暴き見晴るかすもっともっとと発する元を


    やっぱり下校中には前など見ず手遊びなどをし続けている

    同窓の傘をタオルで叩いたらぴたりと止んで笑う夕立

    後楽園東京ドームシティ前ここは広いし悠々飲める

    芳醇に鼻腔にへばりつく牛舎いまとむかしをぷさり貫く

    茹でたての〆られ切った素麺を薬味と共にみんなで食べる

    はじまってから本当にはじまったことがわかって最後までやる

    膀胱も内臓も寝なね俺も寝る明日からもまた宜しく頼む

    はじまるまではじまらないでいてほしい境目はなく今にまで至る

    紡錘の雨がドツドツ降りてくる垂直にかつ途切れもせずに

    アボカドの種に踵を突き落とし捻くり上げてまた振落とせ


    二十年前の自分の声の色髪の手触り目にしたものたち

    二階奥薄ベニヤ床の物干し場光が遊ぶ埃が遊ぶ

    起き上がり午前三時のクラッカー魚肉ソーセージで眠れるか

    イサキの眼黒目が丸く血抜きの際あらゆることに及ぶ考え

    厳島神社は「驚き・憤りを感じています」と話しています

    鬼蜘蛛の巣の弾力を跳ね返すわたしの髪の艶の程知る

    豚の血か歯肉の腫れかフロスより聞き馴染みない鳥の鳴き方

    今日産まれたくらいの蜘蛛の即興の糸もしっかり機能している

    下足天に既に付いてる生卵追加したのと共にかき込む

    シンク横に立てて干してるスプーンに一度戻したワカメの乾く


    繋がりをそうではないと訴える破片を送る無線スピーカー

    畳の上に埃の舞うのを見るうちに熱帯びる背とスチームアイロン

    ドキンちゃんくらい一気に顔染めたい大きすぎる恥怒りや愛や

    母親への返事の怒気が強すぎる娘の服の黒のグラデーション

    流水と湯気越しにある店員の会話三十日の蕎麦丼セット

    幾百の試行の末に訪れる滞りなきカバー取り付け

    シート製の曇りガラスは雪のようで茶色いトドが背を翻す

    騒がしさと暗さを前に一服しただ眺めている方がよろしい

    来月に店を辞めると耳にして行って聞いたら「言うな」と言われた

    鈍色に光った痕のそこら辺なるたけ細い道で帰るよ

  • 様々な事柄

    様々な事柄

    ここにみられるは日々の観察による様々な事柄だ。メモに書かれてあとに読んで楽しんでいる。これらの事柄にはこれといった提言はなく、気になったり、気に入らなかったりするあれこれだ。大体のものごとや考えには順序やパターン、流れや根源的な理由などがあって、そこに目を向けることで全く違う時間・場所においてふとしたときにぶつかりがあって、ちょっとした広がりやいい流れ、深み、健全さ、あるいは正しい反応として転じる可能性がそこにはあると思う。振り返ってみよう。

    • お店にいるとき、店の奥・厨房の中で食器が割れた音がした。その一瞬後あるいは数秒後の「失礼いたしました~!」という声。これを心の底から「失礼した」という気持ちで言っている人はいない気がする。何なら楽しそう。
      • まずここにおける失礼の対象は普通に考えれば「その店にいる客全体、あるいはその場の雰囲気」だろう。だけど、それは顔のないお客様全体やその場の空気感に向けていて、その場合は心がこもらないのは当然だろう。ないし、心をこめなくともよいと思う。
      • 失礼しました~!と大きな声でいくのだから、「お店側」が対象の反省だとは考えにくい。罰の可能性はあるが、それであったらもっと酷い掛け声にしないとその意図は達成しづらいだろう。
      • 「割れた食器自身、あるいは食器の作り手」に対してではどうだろうか。これは日本的な美しい感じがして良さそうだけど、大きな声でする必要はない。心の中でそう思うべきだろう。
      • 商売の神的な存在に対してはどうだろうか。これは何かいい気がするぞ、その手前あたり、やっぱりグラスや皿が割れたとしても全体にちょっと楽しそうな気分が感じられる店はとてもいい店だと思える。何かちょっと落とすような、おちるような。
      • その瞬間に店に存在する各アクターの捉え方次第で商売というものが成り立っていく。
    • ママチャリのライトが斜め45度で向かいのマンションをギャラリーの中の照明のように照らす。
    • 最近のチャリンコのライトのルーメンが強すぎ、向かいの目をやりに来ている。
      • 二点をまとめてみますと、僕は自転車のライトが気になるのだろう。1点目は美しく、二点目は嫌な気持ちとして、両方とも強すぎる光への感覚を表しているのが特徴だ。
      • 一点目、そのマンションは全体が白くて蘇鉄が生えててなんだかリゾートのホテルみたいなクラシックさが好きなマンションだ。その白い壁が夜、前を走るママチャリのライトによってぶわっと浮かび上がって青白く、それはそれは美しいと思ったわけ。
      • 二点目、これはおとといくらい、最近チャリンコライトはルーメンが必要以上に、軍用レベルの明るさを持っていて逆に危険だし不快だ。明るさに弱い目を持っている(レーシック手術をしたためだと思う)からことさらにウザいと思う。僕自身はチャリンコに乗るときはライトの設定を控え目の明るさに設定している。点滅機能は普通の道では使わない。車通りの多い複雑な道でたまに使うくらい。最近のライトは点滅もヤバい。点滅の間隔、フリークエンシーが異常であり、軍用の何か技術が適用されているのではないかと思う。ビビビビッととんでもない間隔で点滅するライト、これは「一体なんのため?」と考える暇もないのか、持ち主は大体非常に涼しい顔をしている。
      • 小学校から中学生のときくらいまではママチャリがあたりまえで、当時はガコッとタイヤ横についたライトの機器を倒して、タイヤの回転で発電をするかなりエコなライトが主流だった。これがまた切ないくらいに電球なもんだから今にも解けそうな弱い赤色になったりして、それを当時も切ないとか思っていた気がする。
      • チャリンコのリアタイヤのハブの部分には「ハブ」という棒を取り付けて2人乗りができるようにするのが鉄則だった。2000年代の東京都北区だけの流行りの可能性はある。そして後ろに乗る荷台には、クッションを巻く。これは簡易に設置されているため、良くパクられるため、顔も知らない地域の同級生くらいの奴らとのお互いにパクりパクられの抗争は絶えなかった。
      • 2人乗りの乗る側の快適を追求することは、非常にヤンキー的な価値感が表れているな。独特な厚かましいまでのホスピタリティとその顕示。
    • フリーメーソンはイベントの照明を発注するほどに、存在している。
      • 歩いて一駅にある立ち飲みで知り合った親子は娘さんが大学生で母親と来ていた。娘は面接とかにすぐ受かりそうなキレイな感じで、話すとずっと部屋できつめのスプラッター映画を観ているらしい。とても素敵だと思いそれを伝える。
      • 母親はマダムな感じで、ワインがとてもよく似合う。娘さんを褒めるととても喜んで、もう一件別の店で飲むことになった。近くに良いワインバーを知っていますよ、と言って連れて行ったがそこはもっと気楽な立ち飲みでワンコインで飲める店なので、ちょっと間違えたかなと思いつつも、親子は楽しんでいるようでよかった。
      • 母親の職業の話になり、照明のデザインなんかをやっている、という方で、最近のクライアントはフリーメーソンよ!と言ってて笑ったが、色々見せてもらうとどうやら本当のようで、フリーメーソンは存在していた。照明を発注するほどに。
      • 娘さんのスプラッター好きにもなんとなく納得したわけである。母親とは何故かラインを交換し、その日解散した後、ごくごく丁寧なごあいさつをくれて、僕も返した。その後は連絡を取っていない。また飲みに行きたい。
    • 「富士見」スポットを無限に繋げれば、町の風通し、綺麗な食道のようになる
      • ちょっと長めの散歩をすると、大体の土地ではやや高台にたどり着くことができるだろう。あるいは二駅かそこら足を延ばせば。大体の日本人は富士山に特別な思い入れがあるし、実際遠くにある富士をみればどんな人間もある種の感慨が湧いてくるだろう。それくらいに確かにでかくて、でかいものはどこからでも見えて、変わりゆく街並みに違和感、その中で富士は開発されることない安心と感慨をくれる。
      • 「富士見○○」というスポットはマップアプリなどで調べればいくつもでてくるだろう。ここは富士が良く見えるなあと思った人が、知り合いやちょっと好意を寄せる人や通りすがりの他人に、今日は富士がよく見えますねえ。と言い続けていつの日にか、ここを「富士見坂」と名付けましょうとなるわけだ。
      • その場所の特質がついている地名というものは大変ありがたくて、その名前をみるだけで期待感をもって眺めを探すことができる。月見台、音無川、霞ヶ丘、などなど、おっと思って違う態度をとることができる豊かなエンタメ。
      • 富士見ってつくからには高台にあって、ばっと眺望が長くとれている場所だろう。だからそれを繋ぐ風の道、パイプを想像するときっとそれはちょうど綺麗な食道のようでそこを泳ぐように通れたらさぞかし気持ちかろ、ということだ。
      • 水泳に関する本で読んだ、クロールを泳ぐときの左右の身体の回転、頭頂からつま先まで通る軸を基準にした回転は、ある透明なパイプを突き進む、というイメージは泳ぐたびに、マジで毎回毎回毎回思い浮かぶイメージで文字と比喩の威力を感じる。そのイメージで富士見パイプラインを泳ぎたいのだ!
  • 2025年6月から9月に観た映画など

    2025年6月から9月に観た映画など

    6月

    • 『カフカ 田舎医者』山村浩二 ☆
    • 『百年の絶唱』井土 紀州 ☆
    • 『デビルズ・バス』ヴェロニカ・フランツ、 ゼヴリン・フィアラ
    • 『ANORA アノーラ』ショーン・ベイカー
    • 『雪解けのあと』ルオ・イシャン ☆
    • 『リベンジ・スワップ』ジェニファー・ケイティン・ロビンソン △
    • 『ミステリアス・スキン』グレッグ・アラキ ☆

    7月

    • 『血』ペドロ・コスタ △
    • 『突然、君がいなくなって』ルーナ・ルーナソン △
    • 『ブルー・ジーンズ』ジャック・ロジエ ☆
    • 『ルノワール』早川千絵 ☆
    • 『PLAN 75』早川千絵 
    • 『黒川の女たち』松原文枝 ☆

    8月

    • 『ボルドーに囚われた女』パトリシア・マズィ
    • 『ユリシーズ』宇和川輝 △
    • 『ブワナ・トシの歌』羽仁進 ☆
    • 『ある精肉店のはなし』纐纈 あや
    • 『不良少年』羽仁進 (北野武の映画のあれはここからきてんのね)
    • 『音楽サロン』サタジット・レイ ☆
    • 『彼女と彼』羽仁進 ☆ 
    • 『敵』吉田 大八

    9月

    • 『悪い夏』城定秀夫
    • 『HAPPYEND』空音央
    • 『SUBSTANCE』コラリー・ファルジャ
    • 『映画 おいハンサム!!』山口 雅俊
    • 『BIRD』アンドレア・アーノルド(週をまたいで2回鑑賞) ☆
    • 『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』ジョン・マルーフ、 チャーリー・シスケル △
    • 『この自由な世界で』ケン・ローチ △
    • 『ドロップス/傷だらけの街』ショーン・ベイカー
    • 『FISHTANK』アンドレア・アーノルド ☆

    みんな映画観てますか。映画館で観てもいいしDVDでも配信でもいいから暇だったらなるべくみよう。アンドレア・アーノルドの映画と出会えて本当に良かったと思います。それで『FISHTANK』もみたいから探して、ツタヤディスカスに加入して8枚無料で試せるということで色々借りてみましたが、DVDというのはやはりいい。特典映像とかのメニューの作品ごとのオリジナルあの動き、泣きたくなる。ヴィヴィアン・マイヤーは自分のTwitterをさかのぼっていてDOMMUNEの記事が面白くて気になって、これもツタヤディスカスで借りれたから観たんだけど、人物はとっくに死んでからの話で、だんだん腹が立ってきて、本人の精神的な気質であったりを勝手に周囲の人にインタビューしたりして、暴くなよ勝手にと腹が立った。

    『黒川の女たち』を観てから、満州のこと、満州に行った人達、部落問題、など調べていくうちに人権ライブラリーに行ったり、父親が名古屋にいた時車に乗りながら「ここは部落やでなあ」みたいな発言、今だったらもう少し話すことができるだろう。どんな反応がくるだろうかね。

    生きているうちに自ら暴く行動をする勇気と、死んだ人のことを勝手に暴くことはとんでもなく真逆の行為であるよ。『カフカ 田舎医者』のアニメのように、文章を更新するようなアニメと音声表現、あれはほんとうによかった。もう一回カフカを読み返して、さらに短編集も買ったり、自分の中でカフカの印象、世界が広がりを持って重要になること。ヴィヴィアン・マイヤーは逆の効果、世界を狭めて一個の意味しか与えられなかった。。

    ルオ・イシャンの作品は感覚がグッと伝わってきて、今でもはだしの冷たさを思い出せる、あの洞窟。他人の想いは一生共感することはできないが、想いを馳せることは可能。 

    『ユリシーズ』はなんだったんだろうか。批評的、というのだろうか。僕にはわからない。

    あんまりな映画を個人的にそう思う、というのと、その映画を好きである誰かの気持ちは全く反発するものではない。それぞれの善意と思いはあって、総意というものには全く興味もないしそもそも存在していない、ということを忘れない。 


    良かったやつ

    • コーディアル mahina pharmacy@下北沢 たべるコーディアル 「月のコーディアル」:下北のちょっと裏のとおりにあったお店、たくさんいろいろ聞いて普通にスピリチュアルなことを生活することは自分にしっくりくる。ショウガとレモンがグッとくるよ。色々試させてくれるお店。
    • 人権ライブラリー@芝公園:人権関連の資料は全てここにある。人権関連の映画は出回らないので、ここにたくさんあるDVDをその場でみれるので、大学の資料室で映像みるのが好きだったのを思い出す人にはおすすめ。大学時代、映画館ではなく、授業の合間は映像室にずっといた。気を許せる、趣味の合う友達がいなかったなー!
    • のぐっちがくれたSIWAのブックカバー:ありがとう、いつも。
    • MOTHでみたDove Elissのライブ:前座として出演していた彼、めちゃくちゃ天才だと思う。
    • RALLY FestivalでみたKassie Krutのライブ:キレキレでしたね…。ずっとやってほしい。
    • アムステルダムのプールZuiderbad:建築も良いし、ロッカーもいいし、深いのもいいし、二階もあったし、コインサウナもあった。美術館の近くにあった。
    • ロンドンのプールLondon Fields Lido:解放感と50m、外の50mの水、最高。みんな焼いてる。外の公園でもみんな水着。心から解放できて、木の側で休んだ。
    • ノッティングヒルカーニバルの木の板、サウンドシステムのウーファーの死ぬほどでかさ

  • 悪口良い口写真

    悪口良い口写真

    宮益坂の交差点のとこはスクランブル交差点と比べてなかなか好き。スクランブルしない方がダイナミックで良いよな。みんなが動く中この人は止まっていた。

    最近動画のキャプションのところに人名とインスタのアカウント名をずらずらと並べてそれぞれ@〜、みたいなのをみんな持っているのがアホらしい、とシンプルに思った。いつぞやのヤンキーかと。それぞれがせっせと画像をあげているし、アカウントを持たぬものにはチラ見せでそれ以上はみれないシステム。差別システムやろうが、みんなシステムに奉仕するのをやめて見上げろ。鳥の行方やヘリの音を追え。見たいものを見ろ。見たいものには全て見せろ。見ること欲するものを拒むな。見ることを欲する自分を拒むな。

    アトランタのダリウスのこの帽子が好きでほしい。髪を伸ばしたら帽子が似合うというかしっくりくるようになったから帽子を被るのが最近のブームなんだ。これどのブランドかわかるってAIに聞いたらわからんとすぐに限界。Googleで画像検索したら海外の知恵袋みたいなサイトで既に何回も質問されてるらしく、同じ質問すんな、みたいな回答もあったりしつつ特定できたが、送料込みで14000くらいになるからアホらしくてやめた。

    信念なんかもたないし、加担もしない。自分の探究をやめないし、知らないままであることは悔しいし恥ずかしいことだと思う。

    いい茶こ。近所でよく行く店が結構好きだと思ってたんだけど、なんか通ううちにつまらんくなってきたし行くたびに帰ってメンタル、気分悪くなってるなと思ってあんまし行くのやめようと考えてる。帰り道の店は店主が外国の人に変わってから、変な絡みもなく、新メニュー試してよって言われて注文すると喜んでくれる本心で。あぶらも四角くてうまい。そんでいい茶こはめちゃいい飲み物。いいちこは頭痛くなんない。金宮は痛い。宝焼酎は痛くならないらしい。

    新宿にて木の間に収まってモニターを凝視する男の子。収まりがよく、周りを全く気にしていない。

    恵比寿ガーデンプレイスから降りてくる坂にある室外機とコーンによるかなり気持ちいいことになっている見応えある置き。グッとくる。ピッタリなようで全く収まっていないところがモノらしい。

    島に向かう船で、20分間ずっと向かう島にカメラを向け映像を撮り続けていた彼を尊敬する。

    角海老って『ニュー』がつくのもあるよね。街角の角海老の下にはほんとに普通の住宅しかない。角海老って何って思ったりするが調べないでいいこともあるし、別に興味ない。住宅地に似合わぬ大きさの看板に裏から見てワクワクして表きて角海老かよ…、ってなったが一応撮る。そんでなんかこの写真の手前の窓、かなり心霊写真の気配を感じるのは僕だけか。

    傾きすぎだけど自然な信号。綺麗。

  • 『ルノワール』を観て

    SNS上で見られる、昔知り合いで今交流のないその人の今現在の活動は、本当にキツいものがあるのはなぜだろう。実感として、そうなのだ。昔知っていた人で、更新のついぞたとえば5年前以上から止まっているそのアカウントの、さぞ魅力的でどんどんと遡っていきたい。終わらないでほしいと思いつつ遡行の先にあるもうこれ以上前、先には進めないところがきて、そういう人、というよりそのアカウントに書かれていることの方が、方がというよりも、その時点にあるその人は魅力的だ。今まさに関わっている人、少なくとも能動的にアクセスしつつある人にしか、その何段階も経た上にあるなんらかを超えて関係している人だけに伝えたい、言いたい、伝えたいと思う、そういう時代がもう既に、いつもそうであるが気付いたらもう既にそこにある気がする。

    コミュニケーションと運命はどちらが先であるのか。運命があってそれを辿ることがコミュニケーションか、コミュニケーションの結果運命らしいものがあるのか。映画は人と人が関わって交流して、話しあって、対話して、ストーリーがあってひとつの運命の途中の一つの通過点をみるものかと思っていたが、対話はもちろん大事、傾聴する、想像力を豊かに思いやる、というのがあるが、コミュニケーションというものは一つのそれも物語・理想でしかない、という哲学が感じられた。この映画を通して様々な会話がもちろんされていく様子がみられるが、途中で気づいたことは「誰もがそれぞれの理想とあるべき状態を求めて、そのために必要となることを選び、伝える」ということをやっているだけだ。これが対話・交流・家族、関係することの実態だった。

    また、「運命」について。運命というとなにかロマンチックでどこか激しく、七色のゼリー状の物体とか、分岐するレインボーロード、あるいは向こう側から光の漏れくるたくさんの扉などのイメージが沸くけども、この映画で感じた運命は単なる冷徹な色のない、というよりもありのままの出来事の連続として、まさに気づいたら巻き込まれているようなどうしようもなさである。さきほどのコミュニケーションの実態では子どもは特に巻き込まれて、ただただじっと見るのが印象的。だからこの抗えなさが強く感じられる子ども時代に必要なのが、「おまじない」だったのか、と思う。おまじないは「どうにか変えたい」「変えることへの憧れ」「言葉にならない感情のせめてもの行き場・生き場」であった、僕も小学生のころは『おまじないネコ チャクラくん』に紹介される数々のおまじないに興味をもち、実践していたことを思い出した。両親の離婚による岐阜県の下呂という田舎から中央東京への引越し、これはまず抗えな過ぎてたぶん生涯で一番泣いた記憶がある。楽しい寿司屋での夕食の際に発表された突然の東京行き。「世界はまじで自分と関係なく終わる!知らないうちに終わる!聞いてない!聞いてない!」というのが一番近いと思う感情になったと思う。この大引越しのタイミング、どこらへんでおまじないネコチャクラくんのおまじないと出会ったのか定かではないが、より必要となったのは たぶん引っ越してからの小学校4年生ころであったと思う。消しゴムケースの中に思う人の名前を書く、は代表だろう。他にもたくさんあったが忘れた!なんと陰鬱なことか。おまじない、はやはり女性的なものになるだろうか、直接的な行為・行使ではない間接的かつ抽象的なところにおいて。全く違和感なく取り入れていた当時の自分はかなり必死であった。友達を1から作り直す田舎ものとしてのディスアドバンテージをもつぽっちゃりダサ眼鏡くん、スポーツはまるでダメな僕は、容姿の改善による人気の獲得や、明るさを行使する直接的な交流ではなく、当時のいじめっこという権力者にとりいるための方法として、おまじないを使っていた…。呪いにも通じるヤバさだ。「現実的行為ではない、しかしだからこその、ダイレクトな世界の改変」を本気で望みやっていた。思い出せないくらい色のない記憶。

    して、今の普通にスピリチュアルなアキオスピリットにつながっている訳だ。あらためて理解。

    この映画を久々に行った恵比寿ガーデンシネマにて観て、坂をくだり喫茶店のルノアール(恵比寿のルノアールは全席喫煙可能である、独自の形態である。)で買ったパンフレットを開く。トレーシングペーパーにカーテンと芦毛の馬のそれぞれが映っている、とっても素敵すぎて震えた。なんていいデザインなんだろう。映画を観たらわかる。病室の窓の外にはためくリボンは、それはそれは美しい「世界の改変」を望む意思。全体を通して説明がないから、わからない、けどいつのまにかわかって、それが運命、説明のない運命で、とってもリアル。こんな映画ははじめて観た気がする。本当に良かった。もう一回観る。監督の早川千絵さんへのインタビューがあるが、編集に相当時間がかかったと書かれていた、それを本当に感じる。とてもすごい編集の凄みを感じられる映画。よくある前後をぼやかすような編集ではない、気づかないようないつのまにか、の運命を感じられる編集。ジャンル分けできないもの、しかしサイエンス・フィクションを何故か感じる。1980年代なのになぜか近未来を感じたりよくわかんない。

    そして大半が岐阜県でロケされたのをエンドロールで知る。長良川であった。私はゆかりがあまりないが、岐阜の川でずっと遊び暮らしていた自分は普通に嬉しかった。そして今この文章を書いて、何かがまた救われてもいる。過去と違う面から向き合えたから、この映画を観たのも運命である。