投稿者: akiospirit
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2026年4月から6月に観た映画など
4月
- 『グッド・タイム』 ジョシュ・サフディ ベニー・サフディ △
5月
- 『Father Mother Sister Brother』ジム・ジャームッシュ ☆
- 『ドランクヌードル』ルシオ・カストロ 💤
- 『ひまわり』行定 勲
- 『マイ・レフトフット』ジム・シェリダン
- 『ファントム・スレッド』ポール・トーマス・アンダーソン ☆
- 『リコリス・ピザ』ポール・トーマス・アンダーソン
- 『父の祈りを』ジム・シェリダン
- 『群盗、第七章』オタール・イオセリアーニ ☆
6月
- 『SINGLES』キャメロン・クロウ △
- 『最後通告』フレディ・M・ムーラー ☆
- 『シラート』オリヴェル・ラセ △
- 『GO』行定 勲
- 『見はらし世代』団塚 唯我 ☆
- 『いとみち』横浜 聡子
- 『急に具合が悪くなる』濱口 竜介 △
- 『名前』戸田 彬弘
4月はなんと一本しかみていないという、5月にマリカとハリーの結婚式があったからロンドン旅行があったので前後がかなりしっかりと働いたのだ。サフディ兄弟の映画は娯楽映画であるからあまり好きではないが観ている間は面白いが、それもまた映画の良さだ。ダニエル・デイ=ルイスの作品を色々観てみたりした。6月も帰ってきてからずーっと大変で、ロンドンからの時差ぼけも長く、なんだか精神的なバランスがとれておらず異常な酒の飲み方をしてしまったり、しばらく酒をやめて健康に生活しようと思ったら咳や微熱が続く例の謎の風邪と言われるものに罹ってまたさらになんかいやな日々が続いている今。まあこういうのはどうしようもないので過ぎ去ることを待つ。大きく捉えたり、小さく捉えたり、自分を責めたり甘やかしたりしない。良い切り替えの時期なのだったと後から思えるだろう。自分の第何期目かが終了したのだ。
『見はらし世代』を今さら観たのだがとても良かった。映像がずっととても美しくて、特に引きの映像が印象に残っている。黒沢清やミヒャエル・ハネケの引きの映像のような、うーっと何かが起こりそうな緊張のある美しさ。崩れた親子と建築物がともに儚く、残るものは残るし、なくなったものはなくなるという現実に気持ちが救われもした。濱口さんの新作はずっと「こういうものを作って、こういう風に見せたい」というのをずっと浴びさせられるようで疲れている自分は疲れてしまった。
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習慣化する
ひとつの決断がその後の行動、その後の自分を決める。当たり前にそうだ。いつから何をきっかけにして始めたのかわからないくらいのことで、今も続けていることなどはひとつもない。逆に言うと、やめようと思うことは明確にちゃんとやめることができる。最近、3か月前ほどから良く歩いている、一回に目標は6500歩として設定しiPhoneの歩数計アプリではなく、専用のアプリをダウンロードしてホーム画面に表示される設定をし、パッと確認できるようにしている。最近渋谷から自宅まで歩いてみて、こんなもんかと思って、やっぱり時間さえあれば歩き続ければどこまでも行けてしまうという事実は自分にとって完璧で嬉しいことなんだと改めて思う。急がず焦らず、疲れたら飯を食ってまた家に着くまで歩くだけ、途中で行きたい店があって休みだったり、汗かいてるからまた余計に汗かくだけだからやめようと思ったり、色々な考えをしたり。肘を曲げ胸の高さまで上げて肩甲骨を引き寄せるようにして、ザ・ウォーキング中、という姿勢で。向こうからくるウォーカーにも、ウォーカーだと認識されていると嬉しい。ウォーカーはウォーカーがわかる。自分と属性が同じ街の人がいると嬉しい。
下呂に住んでいた頃に、大量の鈴虫・コオロギを二階の物干し場で飼っていた。家から歩いて30秒の放置された駐車場に雑草がコンクリートの脇から繁茂し、その奥には赤茶色に錆びたトタンのこれまた駐車場、こちらは使われているものでそこの笹に似た背の高い草たち、猫じゃらしなどと合流している場所。無限にいるからいくらとってもぴょんぴょんと跳ね、音は鳴りやまず、夕方のチャイムが鳴る前後から最後暗くなるまで取り続ける。姉はもうその頃は虫が触れないようになっていたのだったか。自分はまだまだ虫なんて全く怖くないと、そんなことも考えていなかった。ドクダミの香りが嫌いであった。ドクダミは陰気な場所に繁茂し踏むと、踏む前から、こちらの性格や能力を判断しているかのような冷静なる香り、または友達の家の奥暗く、老人の部屋独特の湿気と暗さ。そのほか、子どもの手や顔を簡単に超えるサイズのやけに大きく、これもまた臭う、産毛の生えた緑色の葉っぱ。これはやわらかく手触りもよく小石などの拾ったものを包むのに適している。オオバコ、という名前が思いつくが、今調べると全然違っている。オオバコは特に大きくない。これら周囲にある雑草、建物の脇や、建物同士の間には雑草が生えていて、私たちはいつも雑草に取り囲まれて遊んでいた。
いつかの遊びとしてめちゃくちゃ流行った、誰かの家の青い大きなバケツ(今調べると恐らく20ℓ程度のサイズ感)を誰かが持ってきて、そこに水、これも誰かの家の水だろう、なんとなくであるが自分の家ではない気がする。自分はそういう他人と遊んだり喜ばすことに関して積極的ではないし、自分の家に他人の野外アイテムを持ち込む、ということを許されていない気がする今も。単純に汚いと思うし、玄関まではギリギリ良いがそれを水場までに運ぶ、それまでに何かミクロな細かいものが落ちてくることは間違いない。それで気が付いたときには既に自分の制御下ではない何かがしっかりと繁茂していることが恐ろしいのだと思う。だから僕は制御を求め、できる限り制御したい思いはありつつも、制御できない状態を求めている、という全ての人が甘えている自覚に至る。「言い訳」という言葉には「ひとまずの延長」という現況の保留以外に、意味や効果はどこにもない。
玄関のたたきからの高さは50㎝ほどでしっかりと座れる高さで、今もそのくらいの高さがしっくりくる。高さがある程度ないと靴紐を結んでも歩いているうちにすぐに解けてしまうのはなぜか、今の家は2㎝程度の高さしかないため、ほとんど玄関とは言えないから、必然的に中腰で靴紐を結ぶか、腰骨あたりをついて体育座りの要領で靴紐を結ぶが、これは不自然な姿勢であるから中腰で立ち姿勢に近い形で結んだときよりも高確率で解けてしまう。歩きながら靴紐が解けるからその解けるメカニズムというか流れについて考えるんだけど、「歩いているうちに力がかかって緩む」ということ以外に考えが及ばない。だから最初の結ぶ段階の姿勢が理由として最も大きいのだろうと思い当たるから毎回履くたびにいつもそういうことを考えていることをもう一回また考える。立っている時の足の位置と力の入り方に靴紐の締まり具合が掛け合わさり、結び目の位置などもあいまり、解けるのかどうかが決まっている。少しでも緩みだすと、このまま歩ける、というのとこのまま歩いているとどうせ…とそのことばかり考えてしまって楽しくはないだろう。最近買った靴はどちらも紐靴で、薄く平たすぎる紐と丸すぎる紐であるため、どちらも解けやすくなっている。メーカーは適正なる厚みと摩擦がかかる靴紐にせよ。夜歩くときは音楽を聴きながら歩いている。そのときに聞いているNightwalksというプレイリストを共有する。
そして玄関をあがってまっすぐ突き当たりまでは幅1.2mほどの廊下が8mほど伸び電気をつけないと暗い。突き当りには大きな絵がかかっているか、物置になっているか、いやそれは二階の廊下の先か、あるいは玄関入ってすぐの…。その大きな絵は砂壁のように砂が全体に貼られていて描かれその中に草、現実の草か描かれたものかはわからないが、が在る。その絵が砂壁の印象から好きでも嫌いでもなかったと思う。砂壁にはふざけ合っているときに腕を擦って擦り傷になったことが数回あるからあまりいい印象がない。湿気などを吸う効果があるのだろうが、良い物だとは思えない。一階の廊下の突き当りは暗いから覚えていないからただの壁なんだろう、なんといってもそこが風呂場への廊下だから、絵を飾ったりはしない、違う、ディズニーの『ふしぎの国のアリス』の大きなジグソーパズルが飾ってあった。縦長の縦80㎝はある大きなジグソーパズルのトランプや風船、騒がしい画像。父親がキャバレーのような場所でバットマンのような革製のヘッドギアを付けタバコか箸かを鼻の穴に突っ込んでいる写真。そこを90度に右側に入るのが風呂場で、洗濯機や洗面所、バスタオルやパンツなどが入る立派な箪笥などが置いてある脱衣所は6畳程あり広々としたものだ。廊下の突き当りの面の奥に広がっていることになる。その風呂場は昼間の光が入る、外に面した窓があり、窓を開けていると湯気がお隣さんの家の庭に向かい、外の道からも見える。
休日の昼間に外からその湯気をみることはとても幸せな時間だった気がする。そんな場面は実際にあったのか、あった気がするのだ。休日の昼ではない、平日の夕方、夜になる前か。家族の誰かの存在を外から間接的に知る、と状況を解説してしまうとその気持ちは冷めてしまうが客観的。風呂場の床は深い青色の1㎝四方くらいのタイルが敷き詰められていて、風呂桶は薄めの水色。風呂場で小便をするなと言われたりして良いとも同様に言われていた。その風呂場に入る前の風呂マットの横、隅っこのカビの生え方を日々観察していた。点々と広がるその様は昔飼っていた犬の正常な状態ではないだろう乾き切った右脚の肉球のひとつ、の見た目によく似ていた、とそれ以外のものには似ていない様でもある。その肉球の様子も思い返すたび日々観察していた。メロンの網目模様をみるとそのカビと肉球を思い出す。記憶には良いも悪いもなく、感情がそれを都度判断している。
先ほどのバケツには様々の雑草を水につけて「ジュース」を作る遊びだ。大きくて先のとがった石や、木の棒などで草を潰して色と臭いを水に出し、それをその後一体どうして遊んでいたのか。作ることしか覚えていない。ペットボトルとかがそんなに普通に誰もが持っていなかったと思うから、どちらかというと紙パックの方が確かにしっくりくる、ジュースなので容れるとしたら紙パックだ。紙パックには容れたと思う、そこまでだ。そうなるとそれを握りつぶすことでぶしゃっと放出するのだろう、そこで終わり。決して嗅ぎはするものの飲んだり、飲ませたりはしていない。
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合唱
Apple Musicに変えてからブラウザでしか使えないと僕は認識しているディスカバリーラジオのような機能で佐野千明さんの2019年の『光年』が流れてきてなんか夢中で何回も聴いた。「今眩しくて」という曲はみやじさん経由で誘われたイベントでバンドで一緒に演奏したから少し妙な味わいのあるベースラインを覚えている。
「サンダル」、「やさしい魔法」、「きれいな模様」、「秘密の」、「朝7時」 などは特に気に入って繰り返し聴いた。ゴールデンウィークのロンドン旅行から帰ってきてなんか時差ぼけなのかうまく寝れない日々とまあまあの仕事の量、別にそんな大したことはないんだが、思うように寝れていない時は気にしてしまう。あとは毎日めっちゃ歩くようになってからなんか気分はあがらないが健康みたいな日々のなかで仕事しながら流れてきてそんな状態にこのアルバムに結構救われた日があった。
誰に言ってんのかわかんない感じの言葉がすっと入ってきて、ん?なんて言ったの今?なんかすごい良いことを言った気がするんだけどという歌詞が散りばまっている。Apple Musicだと歌詞表示が出ない。今近くの公園でもやや肌寒いが半袖Tシャツで寝そべりながら聴いてる。「やさしい魔法」は自分以外のものと共同する怖さや不安と期待が満ちていてグッとくる。「朝7時」は知らない色んな後悔と諦めが溢れていてグッとくる。

「今眩しくて」のような合唱曲があったらいいのにと思った。合唱曲の全体が目指すのは、大勢が一緒になってやることが目指すことの大体は結局は集中線の先にある消失点のような光だろう。存在がグワーッと盛り上がりそれが持続していったどこかの点で、スッ…となくなることを目指された合唱曲はかなり泣けるだろう。
そんなようなことが最近2回目読み終わったフラナリー・オコナーの『賢い血』に書いてあったからそんなことを思う。あらゆる点においてお互いが常に優秀、秀でてあることを競い合っていくことが人間の悪であり性質であると思った。賢いと相手に思わすことができれば、自分自身が世界の側からきっと大切にされるから、という弱さといじらしさと気持ち悪さがあるから人間は大変なんだろう。賢い血ではやっぱりイーノックが好きで、イーノックがゴリラと握手するとこ・実体的に世界・他者に依存できる期待感の端っこくらいを感じた瞬間に派手に裏切られるところが1番好き。そんなもんよ実際は。
『There will be blood』も何回目かわからんが最近また観て、賢い血から感じたものをこの映画から感じた気がするから確かめたんだった。自分が正しいと信じるものが他人のそれとは違う、ではどうする?っていうのが宗教とか色々なところの起点であるなぁと何度も思う。賢いっていうのはまさにその状況を表す言葉だと思う。僕の辞書にはそのように解説する。多分そのような勘違いから抜け出した、普通を目指すのが良いことなんだろう。
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驚くほど役に立たない

付き合っている女の子が彼の母や姉に初めて会った時の、「こんな男のどこが良いの?」は必ずその母の息子、姉の弟である彼の目の前で発せられる。即座に。それは全く聞いていて心地の良いものだ。とても幸せな気分になる。自分に家族がいることが誇らしく思える。どんな言われようにも愛が。習慣のような。
開けた戸棚から食器を両手で取り出して、そのまま肘で戸棚を閉める仕草に母親の生活をみる。覗き見るようにして知る。習慣があるから簡単に閉じられる。ただ、その直後、貧血で倒れることは習慣ではないから食器が割れてしまう。
アルノー・デプレシャンの『クリスマス・ストーリー』を繰り返し観ている。家族がクリスマスに集まる話。
家族は繰り返し顔を合わせる中でお互いのイメージを作り上げていく。すごく長い時間をかけてきたからお互いのイメージはかなり固定されている。性格ではなく、イメージ。言葉にできないそれは、多分いつまでも変わらない。僕はこの話の次男のアンリ、マチュー・アマルリック演じるアンリに憧れる。
時計の刻む「チクタク、チクタク」には「強弱、強弱」の拍子が、そう聞こえるからそう表現される。だけどここには「原因→結果」のわかりやすい方向へ流される認識があるんじゃないだろうか。生きていることにはそんな拍子はどこにもなく、心臓はチクタク言わないでドクドクしているだろう。本当は「チクチク」しているだけな時計を「チクタク」する人間。前へ前へと推し進める拍子の力。
勝手なリズムは拍子でしかないから本当のリズムは習慣にある。
朝4時に生まれた僕。夕方4時まで寝ちゃう姉。姉の息子の睡眠薬とワインに酔いつぶれて倒れて上階の部屋まで父親といとこに運ばれ、真夜中12時過ぎにはっと目覚めて、そのまま窓を開けて雪の降るなか壁伝いに一階まで下りていくアンリは雪をみて爽やかになる。屋上の柵を越えて身を乗り出して雨を浴びる僕。
父から姉に向けて読まれるニーチェ『道徳の系譜』のミツバチと鐘の話。ミツバチが蜜を集めるように知識を貯めていくことを願うだけで、体験を顧みない人間。鐘がなった後に「今が何時か」と「今、何を体験したのか」と考える我々は知の探求者ではない。
後から前へ、結果から原因へ、原因が結果を含みつつも、原因と結果は違う、違わないかもしれない。親から子供は生まれるんだけど、子供は親を含んでいる。親は最初から生まれる子を含んでいる。何れにしても降りては登り、登りつ降りる。窓の外から降りて即座に家に帰るように動き続ける「役立たず」のアンリ。
僕は時計をしない、家の鍵は閉めない、すぐ会社を休もう。有益な拍子を刻まない。
Filmgroundといういまはなきメディアプラットフォームの、「時計」というお題の公募企画に送った文章。ウェブメディアはサイト運営者が更新をやめることを決めることで、一方的に消えて一生読めなくなることは色々な意味で大変哀しいので、自分の意思でしか消えることのないここに載せる。
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2026年1月から3月に観た映画など
1月
- 『エディントンへようこそ』アリ・アスター
- 『おくびょう鳥が歌うほうへ』ノラ・フィングシャイト
- 『COW/牛』アンドレア・アーノルド
- 『アメリカン・ハニー』アンドレア・アーノルド
- 『水の中で』ホン・サンス 💤
- 『アラヤシキの住人たち』本橋成一 ☆
- 『旅と日々』三宅 唱 ☆
- 『28日後…』ダニー・ボイル
- マリー・メンケン/マージョリー・ケラー作品集
- 『の方へ、流れる』竹馬靖具 △
- 『ヴィタリナ』ペドロ・コスタ △
2月
- 『犬みたいな日の午後』イ・ミニョン
- 『恋愛裁判』深田晃司
- 『ヤンヤン 夏の思い出』エドワード・ヤン △
- 『私たちの好きな八月』ミゲル・ゴメス ☆
3月
- 『センチメンタル・バリュー』ヨアキム・トリアー △
- 『私たちの一日』ホン・サンス ☆
- 『OCHI! -オチ-』アイザイア・サクソン
- 『月あかりの下で ある定時制高校の記憶』太田直子 ☆
- 『SHARING』篠崎誠 ☆
- 『ガガ 英雄たちに栄光あれ』ピョトル・シュルキン 💤
- 『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』ジョシュ・サフディ
- 『パーマネント・ブルー 真夏の恋』山根成之 △
- 『そして彼女たちは』ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
ホン・サンスの映画がもういいかもなと思ってたが今たくさんユーロでかかってていつでもやってるからつい観てしまう、そして『私たちの一日』はかなり良かった。老いた後の一人の時間の寂しさは簡単だけど底抜けに自由な明るさが観れたことが自分としては嬉しかった。篠崎誠の映画はとがちゃんから『おかえり』のことを聞いて気になっていたが既に上映は終わってた。迷いつつも『SHARING』を観に家から下高井戸シネマまで、なるべくグーグルマップをみないようにしつつ歩いていく。1時間くらいでつく。時間があるので二回目の月見湯温泉。1回目は薫と行った。銭湯はコミュニティになっていて羨ましい。身体を洗っているときの自分の腹の肉がおじいさん、あるいはとても太っていた人が急激に痩せた時の余った皮と脂肪の感じがあるのでダイエットを決意したのだ。米を冬は食いすぎてしまう毎年。もう毎年ダイエットを決意したり考えるのがめんどくさいから、食いすぎることを生涯やめてしまおうと思う。春キャベツは旬で、春キャベツを食べ始める季節は気分も良くなっている。といっても最近は冬の季節も落ちることがほとんどなくなっている。『SHARING』は顔が大写しされているシーンが多くあったが、映画を観ている実感が強く感じられて、今自分やここにいる人達は映画を観ているなー!と思えた。そういうとき映画を観ていることがとても嬉しく感じる。大体後ろに座るから他の人の後頭部とともに映画を観ている。
顎関節症が酷くて慢性的に悩んでいたんだけどついに激痛や口が開けられない状態になったから、こりゃいかんと思い、『噛み方が9割 顎関節症は治せます!』という本と『1分神あごストレッチ』という本を図書館で借りて読んだ。前者は前歯から噛んで、順々に後ろの臼歯に送っていく嚙み方を学ぶ。顎を上下だけでなく、前後に動かすことが非常に重要である、ということ。前歯を使って噛むことで必然的に顎が前後にスライドする。後者の本はほっぺを伸ばしたり舌を回す運動を推奨する。これを風呂で毎日やって、前歯から噛むことでマジで改善した。身体の不調は治せる!と日記に書いてあった。前者の本のタイトル、金川さんが「9割とかいう系のタイトルね」と笑っていた。
≪GOOD THINGS≫
- 夜仕事終わって新宿西口のよもだそばくって駅に向かう道でイチャイチャパブの客引き兄さんが客引きをしてくる。うっすといって通り過ぎると、「右手に見えますはキタナシュランです。」と後方からなんか言ってきて、???となったが右を見ると、使われなくなっためちゃくちゃ汚い業務用キッチンが道端に放置されていた。
- お茶割は飲みやすいから無限に飲めることをいいことと思っていたが、炭酸系のお酒は飲みづらいから少しは量が減り、スピードも減り、お金も安くなるだろう、ということに気づいた。
- 自分で撮った写真をセブンイレブンのネットコピーで2Lサイズに印刷すると非常に楽しい。
- はじめて神宮球場に行って野球を観たが、やっぱり野球はそんなに好きじゃないからもう行かないなと思えたこと。https://youtu.be/A19OBWQPgyQ 一球一球に一喜一憂
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2025年10月から12月に観た映画など
10月
- 『天使の分け前』ケン・ローチ △
- 『Ruffn’ Tuff』石井 志津男 〇
- 『ベルファスト』ケネス・ブラナー ☆
- 『ジュリアン』ハーモニー・コリン ☆
- 『ビューティフル・デイ』(『You were never really here』)リン・ラムジー △
- 『グランド・ツアー』ミゲル・ゴメス △
- 『ホルモンズ』ベルトラン・マンディゴ
- 『ワン・バトル・アフター・アナザー』ポール・トーマス・アンダーソン 〇
- 『女性たちの休日』パメラ・ホーガン △
11月
- 『ドリー・ベルを覚えているかい?』エミール・クストリッツァ ☆
- 『サタン・タンゴ』タル・ベーラ ☆
- 『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』ウェス・アンダーソン
- 『アニキ・ボボ』マノエル・ド・オリヴェイラ △
- 『黒蜥蜴』深作 欣二 △
- 『けものがいる』ベルトラン・ボネロ ×
- 『ウェディング・ベルを鳴らせ!』エミール・クストリッツァ ☆
- 『ジョン・バージャーと4つの季節』ティルダ・スウィントン、コリン・マッケイブ、バルテク・ヅィアドーシュ、クリストファー・ロス ☆
- 『94歳のゲイ』吉川 元基
- 『グッド・ワン』インディア・ドナルドソン ☆
- 『猫を放つ』志萱 大輔 △
- 『猫が行方不明』セドリック・クラピッシュ ☆
12月
- 『Lilypop』青石 太郎
- 『千と千尋の神隠し』宮崎 駿
- 『手に魂を込め、歩いてみれば』セピデ・ファルシ ☆
- 『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』ジェームズ・キャメロン ×
- 『苦い果実』カマラ・カマロワ Zzz
最近観た映画の話になるが、アンドレア・アーノルドの『アメリカン・ハニー』を下高井戸シネマで観ている途中に音楽とは切なさであって、さらに映画もなんでもこの「切なさ」が感じられないものは僕はあまり関心を持てない。『COW』も観たんだけど、矛盾というのは決して二項対立ではない、寧ろその逆。動詞ではなく、状態であるようなその「人間として」生きていること自体が持つ矛盾性(例:他の肉を食うこと、金を稼ぐためには全員がクソみたいに不要なことにあえて価値を見出してやっていくこと⇔光・音・風などがめちゃくちゃに気持ちいいこと、など)があらわれない、というかそういうことを持っていない人の映画は虚しく響く。「かぽーん」とね。それもまた「虚しさ」という価値で賞賛されていく。
例えばたまたま観た『ホルモンズ』における狂気はななまがりのネタ「架空下ネタ『ギンモ』」と等しく、『ジュリアン』における怖さは切なさがあった。リン・ラムジーの映画は綺麗でスタイリッシュだからこその虚しさが強い。最近の黒沢清の虚しさに醒めるのと同じく。『女性たちの休日』という映画は綺麗さ・正しさ・重要さに近づく人々の「キレイさ・正しさ・重要さ」ならではの押しつけがましさ、距離感のバグ、いいものはいいからいいでしょう??、という厚かましさを感じてしまった。(ユニセフハウスで『手に魂を込め、歩いてみれば』の写真展を見にいったときにもボランティアのスタッフや来ているおばさん連中にそれを感じた。)矛盾を起点とする切なさを自分に湛えることが足りていないのではないか。
ではなんのために矛盾/切なさを湛えることが大事であるのか。それはそれがないと他者を非人間化することが簡単に行えるからである、というのが直感だけど、その間を埋める作業はまた今度やろう。このように書くことで無意識にその問題について自分で考えが進んでいくから。
『けものがいる』のベルトラン・ボネロという監督のことは全く知らなかった。観た後、けっこうやっぱ色々考えて、すごく面白かったようで、実はそれはすごく最悪な気もして、けっこう重要な作品だろうと思う。『エディントンへようこそ』も最近観たんだけど、これも同様に社会課題をフィクションで描くという点で通じているし印象はかなり近い。実際にある恐ろしいこと・状況や課題・新興的な現象に対して、敢えてアプローチして意外にそこから何も派生や創造は見られず問題を問題として描くことは、それは正しいことなのか?と思う。これは単に映画監督、創作、芸術作品であるという有利な立場からの不当な「イジり」ではないのか、と思う。そこには均衡がなく「こんな問題を問題としてみれている、客観的に描けているだろう」という驕り・イキリが感じられてしんどいのだ。真に問題を問題として扱うならば、それに対して何らかの新しい捉え方やお前が良いと思う方向性への解決策の芽生え程度でもいいから提示が必要だろうと思う。『けものがいる』ではインセルとされる代表的な男性の実際の言動が活用されているけど、それが問題として処理されて終わる。
『手に魂を込め、歩いてみれば』を観て、イスラエルがパレスチナ、ガザ地区に対して行っていることは明らかに100%悪であると、何に変えても、どんな言い訳や前提があろうと構わない、100%間違っていると思える。大きなことはできないが、ユニセフに募金をする。そして『とるに足りない細部』も読み、さらに人間が抱える矛盾を強め、想いを馳せる。
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企画:知らない人同士で釣りを始める
誰か釣りを始めないか多摩川あたりで。知らない人同士で、まずは釣り竿を買いに行くところから。そして話しましょう。
第一回 初心者同士、釣竿を買いに行く
僕はほとんど釣りやったことない初心者です。昔バス釣り漫画にハマっておもちゃみたいなルアーやワームを集めていました。釣りに行った経験は小学生の時に二回くらいしかない。
できないままはじめましょう、釣り餌とか魚とか触れればOK。みんなで、試行錯誤を、知らない人とやりたい。店行って違うなと思ったら買わずに他のことしてもいいですね。
気が合いそうな知らない人、釣り始めたいなと思ってた人、興味あれば下のアドレスに連絡ください。
私含め奇跡的に3人以上集まったらやりましょう!
akiospirit57@gmail.com
(追記)
1名から連絡ありました!もう1名から連絡あったら実行します。是非。
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ニューギンライト
2025年1月
「趣がある」と評してくれたこと今もわたしを少し象る
最新号プラスチックの装甲のそれ自体への傷みが目立つ
全うに感じられない気がしても重ねた脚を解かないまま
向ける背に新聞捲る音を浴び文字列に入る時間をかける
音だけのくしゃみが消える脱衣所の四隅を巣食う黴のつく息
出てきた後今臭いぞと言った父いや確かにと改める僕
階段を追い越していく数十の自分の跡を汗拭き見遣る
配膳猫から何らかを受け取るときみんな等しく情けなくなる
プラ製の蓮華の自重でネギ集めこの一食への態度を示す
風呂の蓋を閉めただけの鍾乳洞友人の背もこんなに近く
水上に開く東屋に籠もりたる香りは時も光も越える
尿のまだ黄色い僕はこのままじゃダサい開いて透明を待て
包丁で無塩ナッツを刻めると思ってできて感じた気持ち
毛を抜く度こんなとこまでよくもまあ埋まっていたのといつも嬉しい
起き抜けの閾値を超えた能力の発露の証ではない鼻血
雨あがり洗濯物の水分に含まれる春が夏へと変わる
薄暗の強い麻酔に半目開け譫言を置く子どもに還る
十六個ここから見える開くドア怪しい部屋をひとつに絞る
眼はなにかをしっかり睨みつけるようでもあり相手をさがしさまよう
欲望をゆくゆく暴き見晴るかすもっともっとと発する元を
やっぱり下校中には前など見ず手遊びなどをし続けている
同窓の傘をタオルで叩いたらぴたりと止んで笑う夕立
後楽園東京ドームシティ前ここは広いし悠々飲める
芳醇に鼻腔にへばりつく牛舎いまとむかしをぷさり貫く
茹でたての〆られ切った素麺を薬味と共にみんなで食べる
はじまってから本当にはじまったことがわかって最後までやる
膀胱も内臓も寝なね俺も寝る明日からもまた宜しく頼む
はじまるまではじまらないでいてほしい境目はなく今にまで至る
紡錘の雨がドツドツ降りてくる垂直にかつ途切れもせずに
アボカドの種に踵を突き落とし捻くり上げてまた振落とせ
二十年前の自分の声の色髪の手触り目にしたものたち
二階奥薄ベニヤ床の物干し場光が遊ぶ埃が遊ぶ
起き上がり午前三時のクラッカー魚肉ソーセージで眠れるか
イサキの眼黒目が丸く血抜きの際あらゆることに及ぶ考え
厳島神社は「驚き・憤りを感じています」と話しています
鬼蜘蛛の巣の弾力を跳ね返すわたしの髪の艶の程知る
豚の血か歯肉の腫れかフロスより聞き馴染みない鳥の鳴き方
今日産まれたくらいの蜘蛛の即興の糸もしっかり機能している
下足天に既に付いてる生卵追加したのと共にかき込む
シンク横に立てて干してるスプーンに一度戻したワカメの乾く
繋がりをそうではないと訴える破片を送る無線スピーカー
畳の上に埃の舞うのを見るうちに熱帯びる背とスチームアイロン
ドキンちゃんくらい一気に顔染めたい大きすぎる恥怒りや愛や
母親への返事の怒気が強すぎる娘の服の黒のグラデーション
流水と湯気越しにある店員の会話三十日の蕎麦丼セット
幾百の試行の末に訪れる滞りなきカバー取り付け
シート製の曇りガラスは雪のようで茶色いトドが背を翻す
騒がしさと暗さを前に一服しただ眺めている方がよろしい
来月に店を辞めると耳にして行って聞いたら「言うな」と言われた
鈍色に光った痕のそこら辺なるたけ細い道で帰るよ