投稿者: akiospirit

  • 企画:知らない人同士で釣りを始める

    企画:知らない人同士で釣りを始める

    誰か釣りを始めないか多摩川あたりで。知らない人同士で、まずは釣り竿を買いに行くところから。そして話しましょう。

    第一回 初心者同士、釣竿を買いに行く

    僕はほとんど釣りやったことない初心者です。昔バス釣り漫画にハマっておもちゃみたいなルアーやワームを集めていました。釣りに行った経験は小学生の時に二回くらいしかない。

    できないままはじめましょう、釣り餌とか魚とか触れればOK。みんなで、試行錯誤を、知らない人とやりたい。店行って違うなと思ったら買わずに他のことしてもいいですね。

    気が合いそうな知らない人、釣り始めたいなと思ってた人、興味あれば下のアドレスに連絡ください。

    私含め奇跡的に3人以上集まったらやりましょう!

    akiospirit57@gmail.com

  • ニューギンライト

    ニューギンライト

    2025年1月

    「趣がある」と評してくれたこと今もわたしを少し象る

    最新号プラスチックの装甲のそれ自体への傷みが目立つ

    全うに感じられない気がしても重ねた脚を解かないまま

    向ける背に新聞捲る音を浴び文字列に入る時間をかける

    音だけのくしゃみが消える脱衣所の四隅を巣食う黴のつく息

    出てきた後今臭いぞと言った父いや確かにと改める僕

    階段を追い越していく数十の自分の跡を汗拭き見遣る

    配膳猫から何らかを受け取るときみんな等しく情けなくなる

    プラ製の蓮華の自重でネギ集めこの一食への態度を示す

    風呂の蓋を閉めただけの鍾乳洞友人の背もこんなに近く


    水上に開く東屋に籠もりたる香りは時も光も越える

    尿のまだ黄色い僕はこのままじゃダサい開いて透明を待て

    包丁で無塩ナッツを刻めると思ってできて感じた気持ち

    毛を抜く度こんなとこまでよくもまあ埋まっていたのといつも嬉しい

    起き抜けの閾値を超えた能力の発露の証ではない鼻血

    雨あがり洗濯物の水分に含まれる春が夏へと変わる

    薄暗の強い麻酔に半目開け譫言を置く子どもに還る

    十六個ここから見える開くドア怪しい部屋をひとつに絞る

    眼はなにかをしっかり睨みつけるようでもあり相手をさがしさまよう

    欲望をゆくゆく暴き見晴るかすもっともっとと発する元を


    やっぱり下校中には前など見ず手遊びなどをし続けている

    同窓の傘をタオルで叩いたらぴたりと止んで笑う夕立

    後楽園東京ドームシティ前ここは広いし悠々飲める

    芳醇に鼻腔にへばりつく牛舎いまとむかしをぷさり貫く

    茹でたての〆られ切った素麺を薬味と共にみんなで食べる

    はじまってから本当にはじまったことがわかって最後までやる

    膀胱も内臓も寝なね俺も寝る明日からもまた宜しく頼む

    はじまるまではじまらないでいてほしい境目はなく今にまで至る

    紡錘の雨がドツドツ降りてくる垂直にかつ途切れもせずに

    アボカドの種に踵を突き落とし捻くり上げてまた振落とせ


    二十年前の自分の声の色髪の手触り目にしたものたち

    二階奥薄ベニヤ床の物干し場光が遊ぶ埃が遊ぶ

    起き上がり午前三時のクラッカー魚肉ソーセージで眠れるか

    イサキの眼黒目が丸く血抜きの際あらゆることに及ぶ考え

    厳島神社は「驚き・憤りを感じています」と話しています

    鬼蜘蛛の巣の弾力を跳ね返すわたしの髪の艶の程知る

    豚の血か歯肉の腫れかフロスより聞き馴染みない鳥の鳴き方

    今日産まれたくらいの蜘蛛の即興の糸もしっかり機能している

    下足天に既に付いてる生卵追加したのと共にかき込む

    シンク横に立てて干してるスプーンに一度戻したワカメの乾く


    繋がりをそうではないと訴える破片を送る無線スピーカー

    畳の上に埃の舞うのを見るうちに熱帯びる背とスチームアイロン

    ドキンちゃんくらい一気に顔染めたい大きすぎる恥怒りや愛や

    母親への返事の怒気が強すぎる娘の服の黒のグラデーション

    流水と湯気越しにある店員の会話三十日の蕎麦丼セット

    幾百の試行の末に訪れる滞りなきカバー取り付け

    シート製の曇りガラスは雪のようで茶色いトドが背を翻す

    騒がしさと暗さを前に一服しただ眺めている方がよろしい

    来月に店を辞めると耳にして行って聞いたら「言うな」と言われた

    鈍色に光った痕のそこら辺なるたけ細い道で帰るよ

  • 様々な事柄

    様々な事柄

    ここにみられるは日々の観察による様々な事柄だ。メモに書かれてあとに読んで楽しんでいる。これらの事柄にはこれといった提言はなく、気になったり、気に入らなかったりするあれこれだ。大体のものごとや考えには順序やパターン、流れや根源的な理由などがあって、そこに目を向けることで全く違う時間・場所においてふとしたときにぶつかりがあって、ちょっとした広がりやいい流れ、深み、健全さ、あるいは正しい反応として転じる可能性がそこにはあると思う。振り返ってみよう。

    • お店にいるとき、店の奥・厨房の中で食器が割れた音がした。その一瞬後あるいは数秒後の「失礼いたしました~!」という声。これを心の底から「失礼した」という気持ちで言っている人はいない気がする。何なら楽しそう。
      • まずここにおける失礼の対象は普通に考えれば「その店にいる客全体、あるいはその場の雰囲気」だろう。だけど、それは顔のないお客様全体やその場の空気感に向けていて、その場合は心がこもらないのは当然だろう。ないし、心をこめなくともよいと思う。
      • 失礼しました~!と大きな声でいくのだから、「お店側」が対象の反省だとは考えにくい。罰の可能性はあるが、それであったらもっと酷い掛け声にしないとその意図は達成しづらいだろう。
      • 「割れた食器自身、あるいは食器の作り手」に対してではどうだろうか。これは日本的な美しい感じがして良さそうだけど、大きな声でする必要はない。心の中でそう思うべきだろう。
      • 商売の神的な存在に対してはどうだろうか。これは何かいい気がするぞ、その手前あたり、やっぱりグラスや皿が割れたとしても全体にちょっと楽しそうな気分が感じられる店はとてもいい店だと思える。何かちょっと落とすような、おちるような。
      • その瞬間に店に存在する各アクターの捉え方次第で商売というものが成り立っていく。
    • ママチャリのライトが斜め45度で向かいのマンションをギャラリーの中の照明のように照らす。
    • 最近のチャリンコのライトのルーメンが強すぎ、向かいの目をやりに来ている。
      • 二点をまとめてみますと、僕は自転車のライトが気になるのだろう。1点目は美しく、二点目は嫌な気持ちとして、両方とも強すぎる光への感覚を表しているのが特徴だ。
      • 一点目、そのマンションは全体が白くて蘇鉄が生えててなんだかリゾートのホテルみたいなクラシックさが好きなマンションだ。その白い壁が夜、前を走るママチャリのライトによってぶわっと浮かび上がって青白く、それはそれは美しいと思ったわけ。
      • 二点目、これはおとといくらい、最近チャリンコライトはルーメンが必要以上に、軍用レベルの明るさを持っていて逆に危険だし不快だ。明るさに弱い目を持っている(レーシック手術をしたためだと思う)からことさらにウザいと思う。僕自身はチャリンコに乗るときはライトの設定を控え目の明るさに設定している。点滅機能は普通の道では使わない。車通りの多い複雑な道でたまに使うくらい。最近のライトは点滅もヤバい。点滅の間隔、フリークエンシーが異常であり、軍用の何か技術が適用されているのではないかと思う。ビビビビッととんでもない間隔で点滅するライト、これは「一体なんのため?」と考える暇もないのか、持ち主は大体非常に涼しい顔をしている。
      • 小学校から中学生のときくらいまではママチャリがあたりまえで、当時はガコッとタイヤ横についたライトの機器を倒して、タイヤの回転で発電をするかなりエコなライトが主流だった。これがまた切ないくらいに電球なもんだから今にも解けそうな弱い赤色になったりして、それを当時も切ないとか思っていた気がする。
      • チャリンコのリアタイヤのハブの部分には「ハブ」という棒を取り付けて2人乗りができるようにするのが鉄則だった。2000年代の東京都北区だけの流行りの可能性はある。そして後ろに乗る荷台には、クッションを巻く。これは簡易に設置されているため、良くパクられるため、顔も知らない地域の同級生くらいの奴らとのお互いにパクりパクられの抗争は絶えなかった。
      • 2人乗りの乗る側の快適を追求することは、非常にヤンキー的な価値感が表れているな。独特な厚かましいまでのホスピタリティとその顕示。
    • フリーメーソンはイベントの照明を発注するほどに、存在している。
      • 歩いて一駅にある立ち飲みで知り合った親子は娘さんが大学生で母親と来ていた。娘は面接とかにすぐ受かりそうなキレイな感じで、話すとずっと部屋できつめのスプラッター映画を観ているらしい。とても素敵だと思いそれを伝える。
      • 母親はマダムな感じで、ワインがとてもよく似合う。娘さんを褒めるととても喜んで、もう一件別の店で飲むことになった。近くに良いワインバーを知っていますよ、と言って連れて行ったがそこはもっと気楽な立ち飲みでワンコインで飲める店なので、ちょっと間違えたかなと思いつつも、親子は楽しんでいるようでよかった。
      • 母親の職業の話になり、照明のデザインなんかをやっている、という方で、最近のクライアントはフリーメーソンよ!と言ってて笑ったが、色々見せてもらうとどうやら本当のようで、フリーメーソンは存在していた。照明を発注するほどに。
      • 娘さんのスプラッター好きにもなんとなく納得したわけである。母親とは何故かラインを交換し、その日解散した後、ごくごく丁寧なごあいさつをくれて、僕も返した。その後は連絡を取っていない。また飲みに行きたい。
    • 「富士見」スポットを無限に繋げれば、町の風通し、綺麗な食道のようになる
      • ちょっと長めの散歩をすると、大体の土地ではやや高台にたどり着くことができるだろう。あるいは二駅かそこら足を延ばせば。大体の日本人は富士山に特別な思い入れがあるし、実際遠くにある富士をみればどんな人間もある種の感慨が湧いてくるだろう。それくらいに確かにでかくて、でかいものはどこからでも見えて、変わりゆく街並みに違和感、その中で富士は開発されることない安心と感慨をくれる。
      • 「富士見○○」というスポットはマップアプリなどで調べればいくつもでてくるだろう。ここは富士が良く見えるなあと思った人が、知り合いやちょっと好意を寄せる人や通りすがりの他人に、今日は富士がよく見えますねえ。と言い続けていつの日にか、ここを「富士見坂」と名付けましょうとなるわけだ。
      • その場所の特質がついている地名というものは大変ありがたくて、その名前をみるだけで期待感をもって眺めを探すことができる。月見台、音無川、霞ヶ丘、などなど、おっと思って違う態度をとることができる豊かなエンタメ。
      • 富士見ってつくからには高台にあって、ばっと眺望が長くとれている場所だろう。だからそれを繋ぐ風の道、パイプを想像するときっとそれはちょうど綺麗な食道のようでそこを泳ぐように通れたらさぞかし気持ちかろ、ということだ。
      • 水泳に関する本で読んだ、クロールを泳ぐときの左右の身体の回転、頭頂からつま先まで通る軸を基準にした回転は、ある透明なパイプを突き進む、というイメージは泳ぐたびに、マジで毎回毎回毎回思い浮かぶイメージで文字と比喩の威力を感じる。そのイメージで富士見パイプラインを泳ぎたいのだ!
  • 2025年6月から9月に観た映画など

    2025年6月から9月に観た映画など

    6月

    • 『カフカ 田舎医者』山村浩二 ☆
    • 『百年の絶唱』井土 紀州 ☆
    • 『デビルズ・バス』ヴェロニカ・フランツ、 ゼヴリン・フィアラ
    • 『ANORA アノーラ』ショーン・ベイカー
    • 『雪解けのあと』ルオ・イシャン ☆
    • 『リベンジ・スワップ』ジェニファー・ケイティン・ロビンソン △
    • 『ミステリアス・スキン』グレッグ・アラキ ☆

    7月

    • 『血』ペドロ・コスタ △
    • 『突然、君がいなくなって』ルーナ・ルーナソン △
    • 『ブルー・ジーンズ』ジャック・ロジエ ☆
    • 『ルノワール』早川千絵 ☆
    • 『PLAN 75』早川千絵 
    • 『黒川の女たち』松原文枝 ☆

    8月

    • 『ボルドーに囚われた女』パトリシア・マズィ
    • 『ユリシーズ』宇和川輝 △
    • 『ブワナ・トシの歌』羽仁進 ☆
    • 『ある精肉店のはなし』纐纈 あや
    • 『不良少年』羽仁進 (北野武の映画のあれはここからきてんのね)
    • 『音楽サロン』サタジット・レイ ☆
    • 『彼女と彼』羽仁進 ☆ 
    • 『敵』吉田 大八

    9月

    • 『悪い夏』城定秀夫
    • 『HAPPYEND』空音央
    • 『SUBSTANCE』コラリー・ファルジャ
    • 『映画 おいハンサム!!』山口 雅俊
    • 『BIRD』アンドレア・アーノルド(週をまたいで2回鑑賞) ☆
    • 『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』ジョン・マルーフ、 チャーリー・シスケル △
    • 『この自由な世界で』ケン・ローチ △
    • 『ドロップス/傷だらけの街』ショーン・ベイカー
    • 『FISHTANK』アンドレア・アーノルド ☆

    みんな映画観てますか。映画館で観てもいいしDVDでも配信でもいいから暇だったらなるべくみよう。アンドレア・アーノルドの映画と出会えて本当に良かったと思います。それで『FISHTANK』もみたいから探して、ツタヤディスカスに加入して8枚無料で試せるということで色々借りてみましたが、DVDというのはやはりいい。特典映像とかのメニューの作品ごとのオリジナルあの動き、泣きたくなる。ヴィヴィアン・マイヤーは自分のTwitterをさかのぼっていてDOMMUNEの記事が面白くて気になって、これもツタヤディスカスで借りれたから観たんだけど、人物はとっくに死んでからの話で、だんだん腹が立ってきて、本人の精神的な気質であったりを勝手に周囲の人にインタビューしたりして、暴くなよ勝手にと腹が立った。

    『黒川の女たち』を観てから、満州のこと、満州に行った人達、部落問題、など調べていくうちに人権ライブラリーに行ったり、父親が名古屋にいた時車に乗りながら「ここは部落やでなあ」みたいな発言、今だったらもう少し話すことができるだろう。どんな反応がくるだろうかね。

    生きているうちに自ら暴く行動をする勇気と、死んだ人のことを勝手に暴くことはとんでもなく真逆の行為であるよ。『カフカ 田舎医者』のアニメのように、文章を更新するようなアニメと音声表現、あれはほんとうによかった。もう一回カフカを読み返して、さらに短編集も買ったり、自分の中でカフカの印象、世界が広がりを持って重要になること。ヴィヴィアン・マイヤーは逆の効果、世界を狭めて一個の意味しか与えられなかった。。

    ルオ・イシャンの作品は感覚がグッと伝わってきて、今でもはだしの冷たさを思い出せる、あの洞窟。他人の想いは一生共感することはできないが、想いを馳せることは可能。 

    『ユリシーズ』はなんだったんだろうか。批評的、というのだろうか。僕にはわからない。

    あんまりな映画を個人的にそう思う、というのと、その映画を好きである誰かの気持ちは全く反発するものではない。それぞれの善意と思いはあって、総意というものには全く興味もないしそもそも存在していない、ということを忘れない。 


    良かったやつ

    • コーディアル mahina pharmacy@下北沢 たべるコーディアル 「月のコーディアル」:下北のちょっと裏のとおりにあったお店、たくさんいろいろ聞いて普通にスピリチュアルなことを生活することは自分にしっくりくる。ショウガとレモンがグッとくるよ。色々試させてくれるお店。
    • 人権ライブラリー@芝公園:人権関連の資料は全てここにある。人権関連の映画は出回らないので、ここにたくさんあるDVDをその場でみれるので、大学の資料室で映像みるのが好きだったのを思い出す人にはおすすめ。大学時代、映画館ではなく、授業の合間は映像室にずっといた。気を許せる、趣味の合う友達がいなかったなー!
    • のぐっちがくれたSIWAのブックカバー:ありがとう、いつも。
    • MOTHでみたDove Elissのライブ:前座として出演していた彼、めちゃくちゃ天才だと思う。
    • RALLY FestivalでみたKassie Krutのライブ:キレキレでしたね…。ずっとやってほしい。
    • アムステルダムのプールZuiderbad:建築も良いし、ロッカーもいいし、深いのもいいし、二階もあったし、コインサウナもあった。美術館の近くにあった。
    • ロンドンのプールLondon Fields Lido:解放感と50m、外の50mの水、最高。みんな焼いてる。外の公園でもみんな水着。心から解放できて、木の側で休んだ。
    • ノッティングヒルカーニバルの木の板、サウンドシステムのウーファーの死ぬほどでかさ

  • 悪口良い口写真

    悪口良い口写真

    宮益坂の交差点のとこはスクランブル交差点と比べてなかなか好き。スクランブルしない方がダイナミックで良いよな。みんなが動く中この人は止まっていた。

    最近動画のキャプションのところに人名とインスタのアカウント名をずらずらと並べてそれぞれ@〜、みたいなのをみんな持っているのがアホらしい、とシンプルに思った。いつぞやのヤンキーかと。それぞれがせっせと画像をあげているし、アカウントを持たぬものにはチラ見せでそれ以上はみれないシステム。差別システムやろうが、みんなシステムに奉仕するのをやめて見上げろ。鳥の行方やヘリの音を追え。見たいものを見ろ。見たいものには全て見せろ。見ること欲するものを拒むな。見ることを欲する自分を拒むな。

    アトランタのダリウスのこの帽子が好きでほしい。髪を伸ばしたら帽子が似合うというかしっくりくるようになったから帽子を被るのが最近のブームなんだ。これどのブランドかわかるってAIに聞いたらわからんとすぐに限界。Googleで画像検索したら海外の知恵袋みたいなサイトで既に何回も質問されてるらしく、同じ質問すんな、みたいな回答もあったりしつつ特定できたが、送料込みで14000くらいになるからアホらしくてやめた。

    信念なんかもたないし、加担もしない。自分の探究をやめないし、知らないままであることは悔しいし恥ずかしいことだと思う。

    いい茶こ。近所でよく行く店が結構好きだと思ってたんだけど、なんか通ううちにつまらんくなってきたし行くたびに帰ってメンタル、気分悪くなってるなと思ってあんまし行くのやめようと考えてる。帰り道の店は店主が外国の人に変わってから、変な絡みもなく、新メニュー試してよって言われて注文すると喜んでくれる本心で。あぶらも四角くてうまい。そんでいい茶こはめちゃいい飲み物。いいちこは頭痛くなんない。金宮は痛い。宝焼酎は痛くならないらしい。

    新宿にて木の間に収まってモニターを凝視する男の子。収まりがよく、周りを全く気にしていない。

    恵比寿ガーデンプレイスから降りてくる坂にある室外機とコーンによるかなり気持ちいいことになっている見応えある置き。グッとくる。ピッタリなようで全く収まっていないところがモノらしい。

    島に向かう船で、20分間ずっと向かう島にカメラを向け映像を撮り続けていた彼を尊敬する。

    角海老って『ニュー』がつくのもあるよね。街角の角海老の下にはほんとに普通の住宅しかない。角海老って何って思ったりするが調べないでいいこともあるし、別に興味ない。住宅地に似合わぬ大きさの看板に裏から見てワクワクして表きて角海老かよ…、ってなったが一応撮る。そんでなんかこの写真の手前の窓、かなり心霊写真の気配を感じるのは僕だけか。

    傾きすぎだけど自然な信号。綺麗。

  • 『ルノワール』を観て

    SNS上で見られる、昔知り合いで今交流のないその人の今現在の活動は、本当にキツいものがあるのはなぜだろう。実感として、そうなのだ。昔知っていた人で、更新のついぞたとえば5年前以上から止まっているそのアカウントの、さぞ魅力的でどんどんと遡っていきたい。終わらないでほしいと思いつつ遡行の先にあるもうこれ以上前、先には進めないところがきて、そういう人、というよりそのアカウントに書かれていることの方が、方がというよりも、その時点にあるその人は魅力的だ。今まさに関わっている人、少なくとも能動的にアクセスしつつある人にしか、その何段階も経た上にあるなんらかを超えて関係している人だけに伝えたい、言いたい、伝えたいと思う、そういう時代がもう既に、いつもそうであるが気付いたらもう既にそこにある気がする。

    コミュニケーションと運命はどちらが先であるのか。運命があってそれを辿ることがコミュニケーションか、コミュニケーションの結果運命らしいものがあるのか。映画は人と人が関わって交流して、話しあって、対話して、ストーリーがあってひとつの運命の途中の一つの通過点をみるものかと思っていたが、対話はもちろん大事、傾聴する、想像力を豊かに思いやる、というのがあるが、コミュニケーションというものは一つのそれも物語・理想でしかない、という哲学が感じられた。この映画を通して様々な会話がもちろんされていく様子がみられるが、途中で気づいたことは「誰もがそれぞれの理想とあるべき状態を求めて、そのために必要となることを選び、伝える」ということをやっているだけだ。これが対話・交流・家族、関係することの実態だった。

    また、「運命」について。運命というとなにかロマンチックでどこか激しく、七色のゼリー状の物体とか、分岐するレインボーロード、あるいは向こう側から光の漏れくるたくさんの扉などのイメージが沸くけども、この映画で感じた運命は単なる冷徹な色のない、というよりもありのままの出来事の連続として、まさに気づいたら巻き込まれているようなどうしようもなさである。さきほどのコミュニケーションの実態では子どもは特に巻き込まれて、ただただじっと見るのが印象的。だからこの抗えなさが強く感じられる子ども時代に必要なのが、「おまじない」だったのか、と思う。おまじないは「どうにか変えたい」「変えることへの憧れ」「言葉にならない感情のせめてもの行き場・生き場」であった、僕も小学生のころは『おまじないネコ チャクラくん』に紹介される数々のおまじないに興味をもち、実践していたことを思い出した。両親の離婚による岐阜県の下呂という田舎から中央東京への引越し、これはまず抗えな過ぎてたぶん生涯で一番泣いた記憶がある。楽しい寿司屋での夕食の際に発表された突然の東京行き。「世界はまじで自分と関係なく終わる!知らないうちに終わる!聞いてない!聞いてない!」というのが一番近いと思う感情になったと思う。この大引越しのタイミング、どこらへんでおまじないネコチャクラくんのおまじないと出会ったのか定かではないが、より必要となったのは たぶん引っ越してからの小学校4年生ころであったと思う。消しゴムケースの中に思う人の名前を書く、は代表だろう。他にもたくさんあったが忘れた!なんと陰鬱なことか。おまじない、はやはり女性的なものになるだろうか、直接的な行為・行使ではない間接的かつ抽象的なところにおいて。全く違和感なく取り入れていた当時の自分はかなり必死であった。友達を1から作り直す田舎ものとしてのディスアドバンテージをもつぽっちゃりダサ眼鏡くん、スポーツはまるでダメな僕は、容姿の改善による人気の獲得や、明るさを行使する直接的な交流ではなく、当時のいじめっこという権力者にとりいるための方法として、おまじないを使っていた…。呪いにも通じるヤバさだ。「現実的行為ではない、しかしだからこその、ダイレクトな世界の改変」を本気で望みやっていた。思い出せないくらい色のない記憶。

    して、今の普通にスピリチュアルなアキオスピリットにつながっている訳だ。あらためて理解。

    この映画を久々に行った恵比寿ガーデンシネマにて観て、坂をくだり喫茶店のルノアール(恵比寿のルノアールは全席喫煙可能である、独自の形態である。)で買ったパンフレットを開く。トレーシングペーパーにカーテンと芦毛の馬のそれぞれが映っている、とっても素敵すぎて震えた。なんていいデザインなんだろう。映画を観たらわかる。病室の窓の外にはためくリボンは、それはそれは美しい「世界の改変」を望む意思。全体を通して説明がないから、わからない、けどいつのまにかわかって、それが運命、説明のない運命で、とってもリアル。こんな映画ははじめて観た気がする。本当に良かった。もう一回観る。監督の早川千絵さんへのインタビューがあるが、編集に相当時間がかかったと書かれていた、それを本当に感じる。とてもすごい編集の凄みを感じられる映画。よくある前後をぼやかすような編集ではない、気づかないようないつのまにか、の運命を感じられる編集。ジャンル分けできないもの、しかしサイエンス・フィクションを何故か感じる。1980年代なのになぜか近未来を感じたりよくわかんない。

    そして大半が岐阜県でロケされたのをエンドロールで知る。長良川であった。私はゆかりがあまりないが、岐阜の川でずっと遊び暮らしていた自分は普通に嬉しかった。そして今この文章を書いて、何かがまた救われてもいる。過去と違う面から向き合えたから、この映画を観たのも運命である。

  • 眠いまま寝られないこと

    私の不眠は偶にくる、月に大体で4日くらいで、丸々寝れない訳ではないのだけど、3時とか4時、5時まで眠れない。寝れない。どうしても寝れないときがあるし、それは眠れなかったときでもあるのだから、どっちでもいいと本当に思うから、自分の書いた文について『眠れなかった』『寝れなかった』という言葉遣いについてなんかしつこく指摘されたとき、こいつは本当にどうしようもない奴だな、とその時思った。何となく眠いのだけど、寝れないことが偶にある。

    満月のせいだとして気楽になっていた時期もあるし、実際そういう人もいるだろうが、一回ばっとカーテンを開けたときすごく綺麗な細目の三日月だったことがあって自分の中ではこの原因はなしとなった。どのあたりから不眠というのか定かではないが、ゆるく眠れず、4時5時から9時まで寝て起きる日がある。このかといって昼間までぐっすり眠れる訳ではないところがまた…。

    明らかにこれは二十代前後にしていたアルバイトの夜勤が原因なんだろうと思う。セブンイレブンで夜勤をやり、いまはなき「こどもの城ホテル」でホテルフロントの夜勤を長年やってきた。セブンイレブンでは当たり前に寝ることはできず、船堀駅前店の店長は検品から帰りデバイスを下げたままレジ確認に入りつつ立ったまま寝ていた。単にすごいな…!とその時は思った。ホテルフロントではマリークワントの会社の女性たちがバッと泊まったり(おそらく社員研修があったのだろう)、インド人からカレーを温めろと言われたり、真夜中の一個上の真っ暗な研修室があるフロアを含めた恐怖の見回り(階段を使ってフロアを行き来するのだが、非常照明の赤くて赤くて…、怖すぎる)があったり、手作りの朝食券をいかにして効率よく制作するかを考えたり、社員とペアで勤務する中でクセのつよすぎる人と組んだり、大好きな社員さんとテレビみながらよもやま話をしたり、社員さんは24時前後には仮眠室にいく。その仮眠室に行くタイミングが早い人ほど好きだった。特にその点が、他人との交流のセンスが表れていて、さっと作業を終え仮眠室に行く、たまになんかおかしくれたりする、その人が好きだった。逆にずっとテレビをみていて(仮眠室のテレビはかなり古い?確かあったはずで映像が暗い、ブラウン管みたいな…、そのはずはない。)なかなかひかない。早く行けよ…!と思いつつ、大体やることないからね、朝食券を無駄に多く作ったり、ネットで予約来たのを何故かプリントアウトしてバインダーに保存する作業をしたり。

    それで社員さんが仮眠室に行った後は、私だけになる。基本的に夜フロントに人が来ることはほとんどない(インド人の夜のカレータイムとかそれくらい)から奥のソファーで寝る。ただしベルがなる可能性は大いにある(酔っ払いカップルが当日泊まれるか?と来たり、断固断ることになっていた。)ため完全には寝ていられない、そして5時とか6時前には社員さんは戻ってくるので、これもまた完全には寝られず4時半とかにアラームをかけて仮眠する。この曖昧な眠りの断続が今の私の程度の不眠を作っている。さらに最近は「ミラグレーン」を飲んだときは寝つきが特に悪い。酒を飲んでいなくてもそうなのだから、肝臓が休まらない場合は眠れないのだろう。

    眠れない時間はシオランの『生誕の厄災』を読んでいる。この人もまた強い不眠だったようで、夜のルーマニアの街を徘徊していたりして色々考えていたそう。だからこそ眠れないときに読むものとして最も良いと思う。

  • 『MYSTERIOUS SKIN』を観て

    思い出すきっかけが与えらえれることで、見事に思い出し、思い出した記憶によって、今の自分がその時失われた正しい反応を取り戻すように、直感的に安心できる他者に寄りかかり、身体を震わせ、涙と唾を垂れ流し、怯えることができてから、本当はここからどのようにして「健康で文化的な最低限度の生活(と言われている、僕はスタート地点としてこれはかなり良い定義だと思う)」を始められるのか、というのが非常に難しのだろうが。

    実家に久々に帰る直前、親友のすすめで最低賃金でのバイトを始めた日(バイトをしようという意思を確認できたときの親友の顔、本当に良かったよ…。)に、それが起こるというのは想定されるべきドラマではあるが、核心をついている。どのようにして認め、立ち直るのか。

    晶文社スクラップブック『フェミニズムでは救われない男たちのための男性学 藤田直哉』の今日までの最新回まで読んでいるが、ここで書かれていることを考える。

    悲しいことであるが、「男性性=支配・犯す側」を回復するために、性虐待の加害者になる者もいる。それを「吸血鬼神話」として偏見を助長するのだと批判する向きもある(宮地尚子)。『性的虐待を受けた少年たち』によれば性的虐待を受けた男性のうち12%が加害者になっている。『少年への性的虐待』では、若い成人男性の加害者を調査した結果、80%近くがかつて虐待を経験した被害者であった。逆に、子どもの時に虐待を受けた者を調査した結果、その後虐待者になったのは20%ほどであり、80%は虐待者になっていなかったという。多くの者は虐待を再生産していないのは事実であるが、この数字をどう解釈するのかは難しいところである。

    (「第九回:男性の(性)被害──「男性差別」「司法の女割」を考える」より)

    この映画で描かれるセクシュアリティを過度に美化・異化して自分との違いを強調したいわけではないが、これもまた本能的あるいは社会的に作られるものとして理解できる。しかし、それは幼少期にある人を対象とする場合、あるいは同意が得られない相手を対象として実際の行為が行われることは、とんでもない悪であるということだ。そこをセーブができないものは、どのような原因があるにしろ、(かなり厳しいことになるだろうが)その原因と向き合う手段や機会を持ち、色々なことを考えて、治療や乗り越え、先の記事であがっていた「解離」状態からの復帰をどこかで、誰かによって、自分によって、しないといけないのだろう。きっと誰かがそこにいないといけない。

    原因のないものに対しては、「ダークな性質」を持つものに対しては、どうするのか…、そもそも生まれつきそのような人はいないだろうと信じたいが…。とにかく、その同意(快不快、楽しい楽しくない、好き嫌い、という原始的な反応ではなく、自分にとって本当に良いことかどうかを客観的な対象として考える能力があること、あるいはそのような環境にあること)が可能ではない対象や状況に対し、行動を制御できない人間というものは、あらゆる意味で悪魔である。

    自分の性癖的なところにも向き合う必要があるが、ここでそれを書くことは絶対にしないしする必要はない。誰にも言うべきことでないことが必ずある。僕はよく飲み過ぎてしまうことがあるのだけど、その時何を求めているのだろうか、何に対応しようとしているのか、単に考えないためにしているのか。自分が負った傷や違和感、もしかしたら解離して捨て放った記憶というものがあるのかもしれない、と怖くなる。だからあの時とか、自分の中でなんか変な状況とか、日常とは違った環境に置かれ、年上の人と過ごす必要があったときのことをもう少し思い出してみよう。何も思い出ない。

    自分にできることといえば、自分を無為にしないこと、小さな子への目配せをすること、年少者への男性性を振りかざさないこと、自分の中の男性性と女性性をどちらもことさらに否定しないまま捉え考えること、自分のされた行為や態度、状況設定を必ずや繰り返さないこと。過去を変えることは絶対にできないが、過去を頼りに、繰り返さないことで、何かが変わると思う。

  • 12月から5月に観た映画など

    12月

    • ベット・ゴードン『エンプティ・スーツケース』『エニバディズ・ウーマン』
    • たかはしそうた『上飯田の話』◎:トークショーで監督が言っていた「個別具体的であればあるほど、転じて普遍性が帯びてくる」という趣旨の話がかなり自分の中でも大切な気がする
    • ジェシカ・ハウスナー『クラブゼロ』△
    • 前田司郎『ジ、エクストリーム、スキヤキ』◎:切ないゴールデンコンビであるやはり。 

    1月

    • 小津安二郎『東京物語』◎:正月にふさわしい、それなりに重い
    • ナンニ・モレッティ『息子の部屋』◎『三つの鍵』
    • チアン・ウェン『太陽の少年』○:女子たちがかなり魅力的で、男子の幼さ際立つ
    • 藤野知明『どうすればよかったか?』◎
    • ゲオルギー・ダネリヤ『クー!キン・ザ・ザ』○
    • 清原惟『ひとつのバガテル』

    2月

    • ロドリゴ・モレノ『犯罪者たち』△:気取りがある
    • サモ・ハン・キンポー『スパルタンX』◎:次のことを即興でやってるような感じ。完成されている世界で生産性が全くない。
    • ジャック・ベッケル『現金に手を出すな』△:これぞロマンといわれてもな。なんもカッコよくない。
    • ヴィム・ヴェンダース『ゴールキーパーの不安』△:こういうのはもはやなんもこない、気持ち悪いと思う。
    • トッド・フィリップス『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』

    3月

    • クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャ『ハイパーボリア人』Zzz
    • アラン・レネ『ジュテーム・ジュテーム』Zzz
    • イ・ジュヨン『ドア前に置いて。ベル押すな』○:短編って眠くならないからよい
    • M・ナイト・シャマラン『トラップ』○:全然あり得ない感じ
    • 小栗康平『埋もれ木』◎:この人の映画は、他の人には絶対に出せないワンダーがどの作品にも必ずある。その種類がたくさんある。
    • 諏訪敦彦『ユキとニナ』:4回目くらい。こんなんだっけ?と思った。
    • アレックス・コックス『ストレート・トゥ・ヘル リターンズ』
    • スー・ユチュン『走れない人の走り方』◎:大好きだった。世界の見方が伝わってくるし、その辛さと自分嫌いと自己愛も全部わかる。監督自身が出るシーンも、もはや出て救いの声を自分でかけるしかないとか、ストーリーには関係ない外れるところとか、それがあるから好き。貢献とかパーツではないところ。
    • アッバス・キアロスタミ『オリーブの林をぬけて』:それなりだ。
    • アラン・ギロディ『ミゼルコルディア』Zzz
    • ロベール・ブレッソン『白夜(4Kレストア版)』◎:やはり好き。船が来るとこ。
    • アルノー・デプレシャン『映画を愛する君へ』

    4月

    • アルチュール・アラリ『イン・ベイン むなしい愛』◎:とってもカッコいい空しさがある映画。
    • ホン・サンス『映画館の恋』◎:ドンスのわけわかんなさがとっても良くて、なんかいろんなシーンを何回もみちゃった。
    • 成瀬巳喜男『夫婦』◎:ずっとおもしろかったし、問題はずっとある。
    • ブラディ・コーベット『ブルータリスト』◎:建築がスゴイのと、これが全く史実にないっていう空しさが好みです。全部こだわっているのに全く空というのが狂っていると思う。
    • ビン・リュー『行き止まりの世界に生まれて』◎:仕事でよく一緒になる取引先の同い年の人とはじめて飲んだ時にスケボーの話になった時におすすめしてくれた映画。もうそれだけで良い。
    • ダイナ・O・プスィッチ『終わりの鳥』
    • 竹林宏之『情操家族』△:こういう感情にまみれたの日本人好きだよなあと思う!
    • アレハンドロ・ホドロフスキー『ホドロフスキーのサイコマジック』×:ホドロフスキーさん、これはあかんよ…。久々に途中でみるのやめた。これは、様々なハードルを様々に乗り越えた末に自分が体験するべき世界であって軽くメディアに載せて見せるべきものではない。いい意味で勝手にやるべき世界であってほしい。訳の分かんないことを説明してんのも冷める、それは結局マジックでもなんでもない。すごい映像ではあるが。
    • フランソワ・トリュフォー『あこがれ』:ただのクソガキ。邦題問題だな僕の大好きな。ウザさを描いているのならカッコいいな。
    • ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ『フォーエバー・ヤング』○:演じることへのどうしようもなさ
    • グレッグ・クウェダー『シンシン/SING SING』
    • ウィリアム・A・ウェルマン『花形証人』○:MAGA
    • キャスリーン・コリンズ『ここではないどこかで』◎:音から映像から全部がカッコいい。
    • ジュリー・ダッシュ『海から来た娘たち』Zzz
    • ドロシー・アーズナー『めくらの鼠』Zzz:この日二本とも寝た
    • グラハム・フォイ『The Maiden』△:無駄に長いだけ

    5月

    • ジャ・ジャンク―『新世紀ロマンティクス』◎:超大作。夕方の渋谷の交差点の人々がマジで輝いて見えて泣いた。生きているなあと。
    • テレンス・マリック『天国の日々 4K』◎
    • S・シルヴァン・サイモン、 ジョージ・マーシャル『秘境』◎:ハラハラしちゃった。
    • ペドロ・コスタ『骨』Zzz:一回もちゃんと観れたことない。良い経験したことないよペドロ・コスタで。

    (Good Things)

    • EUフィルムデーズのカラオケイベント、めっちゃ楽しかった。ポルトガルの有名な歌、Salvador Sobral – Amar Pelos Doisを歌う機会があったらいいな現地で。
    • 最寄り駅の日高屋で他も席が空いているのに、となりに座ってきた男性:タブレット端末を見ながら「よーし、今日は何食べようかな!!!」「たっけえなああ!!!」
    • 小鹿野町:太田甘池堂の羊羹、老舗焼き鳥屋の店主の姉妹の姉の方のわかりやすい馴れ合い感の全くなさ(常連にも厳しい)、町の人達、パトロール中の警察に警察官にならないか?とスカウトされた体験、焼き鳥屋であった優しい兄さんたちと行ったとんでもなく広いスナック、その道中にお化けが出るという話、幽霊を「逆に見に行っている」という態度の話
    • 渋谷のNid、楽しくお買い物させてくれる店員さんたち
    • ラーテルの若菜ちゃんとたまたま東中野の飲み屋であって飲んで、勢いでDJやるよ!って言って(翌日やっぱやめます…いいながら結局)イベントに出てDJしたこと。ちゃんとセットを考えてやったらめちゃ楽しかった。その後みんなで花見もできたし。
    • WWWでのSoul Sideのライブ。最高にカッコよかった。
    • NEAR MINT TOKYO:美味しいし酒もうまい。地下に空間があるらしいのが気になる。
    • コードギアスのアニメ:自分自身が実行せず、誰かにやってもらうことで世界を救う!まじでカッコいいと思う。俺も誰かにやってもらう人になりたい。
    • 小島信夫の『小説作法』を長い外仕事の通い路にずっと読んでかなりしっくりきた。影響でカフカの短編もかなり面白い。
    • ユーロスペースやシネマヴェーラに行くときに神泉から行くことにして快適。さらにチムニーコーヒーのチムニーラテを買って美味しかった。

    (Bad Things)

    • レショップ宮下パークでの店員・客含めたファッション野郎達の馴れ合いコミュニケーションが邪魔、狭い通路で群れてくれるな大人たち。

  • 運命から離れていき取り逃がしやすくなる

    『天国の日々』をみていて、汽車が動き出してから、残る知り合いと惜しみつつ離れ、急ぎ出す、その急ぎ出す雰囲気からすぐに汽車が動き出すことを知る 汽車が動くから、それに合わせて動き出して、人と離れる、ではなく、汽車が動き出しつつあることを感じつつ、残る人と離れつつ、汽車のドアを見定めつつ乗り込む、という全てが地繋がりしていることをみて、これはもう動かしようのない、ちょうど運命ということだろう、と良い気持ちで運命を感じた。だからそこにヒントがありそう、自分でも考えてみたい、とそう思い、その後のイナゴのラッシュも、ああどうしようもないとどうしようもない運命ということでしか救われることのない間柄ということがあるなぁと思ったのだ。今はどうだ、バスはアプリの予告時間をすぎるが、停留所の電子掲示板にはあと何駅でやってくるということが記される、スマホを見ればそれこそいろんなことができる自分、を常に感じていられるだろう。コントロール化にある小さな世界を手中に、まさにこれこそハングリー精神、ステイ・フーリッシュ、ホール・アース・カタログである。やりたいことを勢いがつくことでどうしてもやってしまうのが他人であり自分なのだから。カタログ化、デジタル化するのは、おそらくどこまで行ってもつきつめても、「持て余してしまう」、やればやるだけその分「手に負えない」ことが増えていくことを知る場合は良いことだ。それ以外の場合、その分運命やイナゴによる自然からの自浄作用・救済からはどんどんと離れやすくなるだろう。ある程度はこの世は自分の手の中にある、常に視線はその自分の手の中の光、あるいは真っ暗闇に注がれているから、かなり外は見えやしないだろう。通知、アラーム、着信は続くだろうが、それらは全て人が人であるため、コントロールするために表示され鳴るという単なる事実を忘れない、通知、アラーム、着信、これらは元々あったもののデジタルな代替だから、たまにはその元々にあったものに近づくことで、よりそれらの代替をより良いものとして活用する、より良く活用すること以外に人間が果たすことはあまり考えられないのではないか。

    通知、警告、忠告はこの映画でも使用人から複数回登場する。「地域で一番の金持ちです。このあたりでやめとくんですな。」「私には嫌な予感がする」「私にはわかっているからな」、ドラマであるのだからそれらは当たり前に無視されてそれぞれひとつひとつに対応したカタルシスが起こり新たな段階に進んでいく。通知、警告、忠告は無視される可能性が大きく成分として含まれている。受け止めた上で決まり、制限を超えた可能性を試す、そしてわからない生き方に向かうことができる。現実はそうはいかない、火事はいや、人間関係も仕事も身体もできる限り良い状態を保ちたい、当たり前にそう思うから、だから映画を観に行って考えるんだと思う。

    あるいは警告や通知、指示や忠告を軽やかにやり過ごす、あるいはそれらを一旦真に受け入れ聞き入れ、そこから取り戻しやり直すは自分の態度・行動。見た聞いた事実には抗わない、その場その場で考える。汽車に乗り込まなかったらどうなるのかを想像したり、映画館からの帰り道、最寄駅に降りてから自分の家への見慣れた道を、どうして見慣れた、と感じるのかについて、いつか見慣れたものが初めて見たように感じられ、それはとても気づかないが恐ろしいだろうなと思う。見慣れている道に無限にある、普通にこれまで見たことのない場所、箇所、生えてる雑草と私の関係性はなんなんだと。

    指示に従って行動するのがとても得意だと感じるし、誰かが良いと思うもの、薦めてくれたものを良いと感じる、逆に良くないと感じることが得意だと思う。この人に今こう言うふうに言ったとしたらこんな風に喜ぶだろうなと実際に行動はせずに頭の中でその人と離れてから思うこと、それを思いつつ別の場所に行き、次の場所ではその場所に応じた考えや行動をしていることはとても健全な気分を作る。東京のこちら側には富士見坂と呼ばれる坂がたくさんあり、それらは小高く風が吹き太陽に晒されるからあまり人もおらず。面が広いベンチで横寝をしている初老のよく焼けた男性がいる。太陽は構わない、横には彼のロードバイク。どこから来て、なぜここでそんなにも本気で寝ているのだろうか。仮説はいくつか、ただし一生わからないのだ。