カテゴリー: Book review

  • 合唱

    Apple Musicに変えてからブラウザでしか使えないと僕は認識しているディスカバリーラジオのような機能で佐野千明さんの2019年の『光年』が流れてきてなんか夢中で何回も聴いた。「今眩しくて」という曲はみやじさん経由で誘われたイベントでバンドで一緒に演奏したから少し妙な味わいのあるベースラインを覚えている。

    「サンダル」、「やさしい魔法」、「きれいな模様」、「秘密の」、「朝7時」 などは特に気に入って繰り返し聴いた。ゴールデンウィークのロンドン旅行から帰ってきてなんか時差ぼけなのかうまく寝れない日々とまあまあの仕事の量、別にそんな大したことはないんだが、思うように寝れていない時は気にしてしまう。あとは毎日めっちゃ歩くようになってからなんか気分はあがらないが健康みたいな日々のなかで仕事しながら流れてきてそんな状態にこのアルバムに結構救われた日があった。

    誰に言ってんのかわかんない感じの言葉がすっと入ってきて、ん?なんて言ったの今?なんかすごい良いことを言った気がするんだけどという歌詞が散りばまっている。Apple Musicだと歌詞表示が出ない。今近くの公園でもやや肌寒いが半袖Tシャツで寝そべりながら聴いてる。「やさしい魔法」は自分以外のものと共同する怖さや不安と期待が満ちていてグッとくる。「朝7時」は知らない色んな後悔と諦めが溢れていてグッとくる。

    「今眩しくて」のような合唱曲があったらいいのにと思った。合唱曲の全体が目指すのは、大勢が一緒になってやることが目指すことの大体は結局は集中線の先にある消失点のような光だろう。存在がグワーッと盛り上がりそれが持続していったどこかの点で、スッ…となくなることを目指された合唱曲はかなり泣けるだろう。

    そんなようなことが最近2回目読み終わったフラナリー・オコナーの『賢い血』に書いてあったからそんなことを思う。あらゆる点においてお互いが常に優秀、秀でてあることを競い合っていくことが人間の悪であり性質であると思った。賢いと相手に思わすことができれば、自分自身が世界の側からきっと大切にされるから、という弱さといじらしさと気持ち悪さがあるから人間は大変なんだろう。賢い血ではやっぱりイーノックが好きで、イーノックがゴリラと握手するとこ・実体的に世界・他者に依存できる期待感の端っこくらいを感じた瞬間に派手に裏切られるところが1番好き。そんなもんよ実際は。

    『There will be blood』も何回目かわからんが最近また観て、賢い血から感じたものをこの映画から感じた気がするから確かめたんだった。自分が正しいと信じるものが他人のそれとは違う、ではどうする?っていうのが宗教とか色々なところの起点であるなぁと何度も思う。賢いっていうのはまさにその状況を表す言葉だと思う。僕の辞書にはそのように解説する。多分そのような勘違いから抜け出した、普通を目指すのが良いことなんだろう。

  • 実は誰もが間違えるはずはない 多和田葉子『地球にちりばめられて』

    実は誰もが間違えるはずはない 多和田葉子『地球にちりばめられて』

    小さいころからあまり話すことが苦手というか、特に話したくない人と話すことが思いつかないのが、今も変わらずである。コミュニケーション能力は、話したいとき、話すことがあるとき、どうしてもあふれ出すことを止められず、ドロッと、ビシャッと、ふんわりと、あらゆる形と、その思いに適切な形を選んで、瞬発的に出ることをさす。

    それ以外の場合は、普遍的な社会的なコミュニケーション、不特定多数とのコミュニケーション、実は全員が、周到に準備をしている、実は全員が言いたくもないことを、ほとんどの人は性格が良く、そのため正確を期するため、実は全員が準備しすぎて疲れている。あるいは真逆に、何も言わないことを強いられる空間で、「ツッコミ」すらできず、息の行き場を失い窒息している。

    疲れているか、窒息しているか。実はそうなのである。

    とってもいいことが思いついたりして、あれしてみようか、こうしてみようか、ちょっとクリエイティブな気持ちになったりして、そういうときにおばさんにプールで話しかけられたりして、「はい?ああ、確かに、不思議な泳ぎ方してますねえ」と好青年をしてなんとなくいい気分になったり、しかしそのおばさんはあらゆる人に話しかけていたのだ、実のところ。それもちょっと迷惑そうな感じで…。

    hirukoとsusanoo、どちらも追放された人たちである。ひらがなでもカタカナでも漢字でもないアルファベット表記の二人は失われた日の国、大和の国出身。偶然と絶対を生まれつきそなえる異形・奇形と、従うことのできないまま行先を探すリビドー。

    小さいころに読み聞かせられ、テレビでみたり、大人になってからも好奇心のわく、昔話・物語はなんのためにあるのか?というところにとても喜ばされた。誰もが間違えるはずがないのだ。どこかで会った気のする人とは勝手に話が進んでいくはずなのだ。

    共通する知人がいない、「あいつ、元気にしてるかねえ」ができない場合の解決策は真理をついている。あと嘘は嘘をつかれる時点では嘘ではない、未来がある限り嘘は嘘になれないというのも真理である。

    対称性、集合的無意識、感性の網目の中で、親友はいつも全ての自分たちを受け入れ続けている。それが可能性とか未来というものである。