カテゴリー: Diary

  • 2025/01/04

    年始初めて近所の神社にちゃんと初詣した。年が明ける前に家を出て歩いてすぐの神社、結構人が並ぶ神社なのでいつも三が日終盤に行くようにしていたが今年はなんとなく並んでみる、並ぶ時間が暇なので30分くらい前にコンビニで酒を買って並ぶ。ハイボールを買ったつもりが日本酒ハイボールだった、飲む瞬間にハイボールをイメージしていたから香りに違和感がすごくて面白かった、「これ日本酒だわ」。でも逆に日本酒と炭酸の方が縁起がいいかもなとかも思った。積極的に縁起に左右されたい年末年始は。並んでいる後ろには近所に住んでそうな高校生くらいの女の子が二人、仲が良さそうである、片方は彼氏がいて片方はいないようで彼氏欲しいと言い続けている、あと何秒、3秒!とそしてすぐに日を跨ぐ、列はあと20分くらいはかかりそう(お参りまで)。前後の人達とあけましておめでとうございます~、とやんわりやるのが楽しい、何人かは年越しの瞬間にジャンプしていた、跨ぐあるいはジャンプするリープする、でも時なんてものはただの目安だよなといつも思うが、区切りがないと人間はスライムみたいになりそう、あるいは擂鉢の中に擦られる胡麻のよう。私は今年36歳になる!36年も生きている。犬の寿命だと大体二回くらい生きているくらいになる。何のために長く生きるようになっているのか、医療とかそういうのを含めて、本当のところは誰も良くわからないながらやっている。姉の子が昨年の12月に産まれた、できるだけ傷つかないで、そういう場面や人を軽やかに避けていって、色々な意味などを自分自身で見つけて発見して捉えていっていくのだろう、それだけでスゴイと思う、とてつもないと思うが同じように生きている状態のその後、死んだあと、その前の死やあるいは生命、日常との疎遠をより現実味をもって近くに感じるときが必ずややってくる、と久々に行った早稲田松竹で観た『東京物語』で想う。5人くらいで観にいくイメージだったのがなぜか高校からの友人と二人になった。隣り合わせで観た。英語字幕があったから外国人の人も多くいて正月の早稲田松竹は満席の満席、原節子の顔、笑顔と発話はやっぱりめちゃくちゃ、きた…!となる。わさわさとする心が。あの熱海の翌朝のシーン、立ちくらみのところはリアル。

    その後馬場のマルハチの中二階の席で、わらわらと集まり飲む。馬場で飲むのはいいものよ、と思う。高校時代の昔の話やみんなの近況、今年の抱負、ありきたりであるが、どこにもないであろう会話の数々が年始を彩ってくれた。ミラグレーンをみんなに配り過ぎた、ミラグレーンを飲むとどこまでも飲んでやろう!となって、久々に大勢でスナックに向かう。神田川を渡っていまはなきPHASE店…。「夢の扉」といういい名前のスナックへ。カラオケ込々、ボトル二本、4500円セット料金、歌うまのバイトの子、よく歌い良く飲んだ。

  • 9-11月に観た映画などなどなど

    9-11月に観た映画などなどなど

    日記を韓国のALLWRITEで買ったノートに書いている。そのノートの表紙がいかしてるから買った。古び切ったカビなども生えているだろう車のリアシート、ファブリックは破れまくって色褪せる、チリにと芥となってどこかに飛んでいったのだろうまさに「風化」といった様子のシート。その上に炭酸水の瓶が1ダース入るえんじ色のプラスチックケースが置かれている。えんじ色は早稲田大学を思い出す。あの変な熊と。一切思い入れがない大学というもの、ただそれによって今に続いている仕事についているという可能性は大きいが、面白くはないよなまったく。自分は人生を面白くしたいと思っているタイプだと思っていたが、実際は家でマンガを読んだりゲームしている時間が一番好きなのである。友達や外出したりすること、一人で酒を飲んだり、何か表現したりすることは、何か機会があれば…、くらいでよい。全く求められないと動きがない私。道に駐車場に停まっている車、その中にある炭酸水やシートの頭のところにプロレスマスクが被さっていたり、そのようなところをみたくなる気持ち。関係のない、全く関係のない家の中は覗けることは少ないが車の中は知らない・関係のないままに覗いてもOKだからOK。スティル・ウォーター、まるで湯沸かしポットの中に置かれている、一回お湯になって使われずそのままになっている、水に戻ったような状態。スイッチさえ入ればまた沸騰し殺菌されるが、全くそれは最初の湯とは無関係であるような。

    音沙汰のない友達に年末会おうと連絡してから、もう年末が来ている。重く怠いが会ってしまえばそれなりに。しかし彼は酒をあんまし飲まなくなったし、すぐに喫茶店に行こうというのだ、僕は年末なら酒を飲み続けていたいから、そういうところも重く怠い気持ちにつながる勝手に。


    9月に観た映画

    • ラナ・ゴゴペリゼ 『インタビュアー』『昼は夜よりも長い』
    • サロメ・アレクシ 『幸福』
    • フリッツ・ラング 『処刑人もまた死す!』
    • 山中瑶子 『ナミビアの泉』
    • 五十嵐耕平 『SUPER HAPPY FOREVER』

    10月に観た映画

    • アンダース・エンブレム 『HUMAN POSITION』
    • 石井裕也 『愛にイナズマ』
    • 沖田 修一 『横道世之介』『おらおらでひとりいぐも』『モヒカン故郷に帰る』
    • 空音央 『HAPPYEND』
    • 佐藤真 『エドワード・サイード OUT OF PLACE』
    • リアム・ファーマガー 『スージーQ』
    • アレクサンダー・ペイン 『ホールド・オーヴァーズ』

    11月に観た映画

    • 金川晋吾(西澤諭志) 『father 2011-2013』『father 2015.05.18』『father 2008.12.08』
    • ピーター・ウィアー 『ピクニックatハンギング・ロック』
    • ホン・サンス 『リスト』
    • ジャファール・パナヒ 『人生タクシー』
    • 滝田洋二郎 『コミック雑誌なんかいらない!』

    全然観れてないというのも19時からの仕事が2週間続いたり、定期的かつ連続的な仕事が入っているのだ最近は。そのおかげで感情があんまし動かんし、なんといっても毎朝エアロビしてるから外に出なくても平気。毎日とある駅に夜いかないといけない仕事があったんだけど、立ち食い蕎麦屋で今日は何蕎麦にしようか、卵を追加しようか、天丼・カレーにいくのもあり、と考えるだけで私は幸せになれるから。こんなことがあった、明日はゲソ天蕎麦に追加で生卵だとずーっと考え続けた結果それを注文したんだけど、ゲソ天蕎麦には初めから卵がついていて、追加の卵をあわせて私は二つも夜に卵を食べたんだ。別皿で来たから溶かしてつけ麺的に食った一回だけ、でもそれはそれほど楽しい経験ではなかったので、結局丼に放り込んだ。非常に記憶に残る出来事。そのままの短歌も詠んだ。こういうことばかり人生で感じていたい。そして帰り道その店をグーグルマップで調べてあげられているゲソ天蕎麦の写真を確認する、そこには卵は付いていなかった…!毎日通うことへのサービスが発生したのか?????あんなに愛想がないのに?????と更に興奮したわけである。ただしその三日後いった時に頼んだ春菊天蕎麦には何もつかない。

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    (2025/02/07追記)

    この店のメニューには「○○天」と「○○天玉」があることが再訪により理解された。要するに「ゲソ天玉」に「玉子」を追加していただけだった。「勘違い」というものはかなりのエンタメ性がある。生まれて死ぬまで全ては勘違いや思い違いなのではないかとすら思える。

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    本当に自分の価値観と合わない洒落ている、綺麗なだけの映画を観たとき、私は憤慨する。そこには何もないから。何もないことを美しいと思っているのか。それぞれの形態において、向き・不向きというものがあるだろう、という話だ。

    『横道世之介』はとっても良かった。吉高由里子も、高良健吾も普段とは違う人物になっているだろう、そういう人がいる感じがちゃんと感じて、しっかり感動した。JAIHOでみた『コミック雑誌なんかいらない!』も内田裕也に初めて興味を持った、カッコいいのかもしれない…!と。何にも内田裕也のこと知らないし何にも言えないけど、声がめっちゃ小さかったり、ただその時代の新宿とかみれるだけでいいし、あと最後にビートたけしがかなりイケてる。


    【ナイスシングス】

    • ポーラテック アルファダイレクト90使用のミッドレイヤーパーカー:これはいい。25000円は価値あり。軽すぎるしあったかすぎるので、これを脱ぎ着すれば、アウターは薄めのナイロンジャケットで十分である。重いジャケットも良いが、電車とかで暑すぎるのがマジで嫌いだから。
    • 伊勢原のジンギスカン伊勢原:モクモク系焼肉屋。とにかく幸福になる。良い服で行ってはいけないよ。
    • 会津 下郷郡 塔のへつり:友達と旅行に行った。初めて紅葉が美しいと思った。本当に。
  • 2023/12/19

    今年は計画的かつ気のない振りで、早めに終わってしまった仕事。昼まで寝てられるし何なら夜までも可能。いつからなのか、最初からなのか、冬は気持ちが閉じる。

    父親が昔名古屋の万場でお店を開いていたときは毎年クリスマスあたりから晦日までお店の手伝いをするのが倣いであった。調子のいい日などないが朝から晩まで皿を洗い、配膳し、下げ、また洗う。前掛けをする、手拭きタオルを渡され「これ巻いとけ」と頭に巻く。手伝いをしてくれる父の姉やバイトの女性との会話がうまくいかない。あの頃の心持ちは既に思い出せないが、いつものあれ、会話ができなくなるのだ。これは会社でも起こる、調子が良いときはランチも仕事もうまくいく。仕事はなんとかなるのだが、きっついのがランチだよな。11:30から逃げるように一人であんまし人気のない店に行く。そそくさとかえってくる。店では汗だく、理由もなく、飯食うと汗かく。

    もちろん調子が良い時期は誰もが自分を好いていると推定でもなく確信のもと行動するので、自由。それは春キャベツが市場に出るあたりから始まる。今日(12/20)は甘い蕪を食べた。ネオ八百屋で買ったやつ。ピーチ蕪というのを細切りにしてビネガーとオリーブオイルとクレイジーソルトのハーブの塩で。細切りだとぬめっと感が里芋とかとろろ芋のようで、オイルとの絡みは良いがなんか蕪らしさがないと思った。今度からは蕪は必ずと言っていいほど、乱切りだ。

    そして昨日は昼から運動して、その前の日に下北の古着屋で買ったウール80%のボーダーロンティー(ピンク、黒、黄色、なんだかNANA感がある)を着て出かけるため、SNSで見かけた展示へ。前から行きたかった松濤美術館でやっている展示。

    「前衛」写真の精神: なんでもないものの変容

    ボーダーTの上にはこれまた下北の古着屋で買ったリバーシブルのベストを着る、その上に、これは三茶の古着屋で買ったコットンリネンの羽織り。この寒い中コットンリネンはないが、ベストを着ることで大丈夫、むしろ汗かきな俺にはちょうどよいのだ。ベストの方、ナイロン側のグレーの面しか着なかったけど、このボーダーのにはそっちではない、フリースのやや茶色っぽいグレーのが合うから嬉しかった。靴は黒い革靴、ターミガン、いまはPLAYGROUNDとなっているブランド。このブランドはNIKEの古いのとかオリジナルの靴とか全部いい。代々木公園駅からすぐ。

    松濤美術館は神泉駅からすぐ。渋谷まで行かなくていいのに救われた、それをグーグルMAPで確認しつつ、帰りは代々木八幡駅まで歩こう、そして古着屋もみようと思った。古着ばっかりの人生。

    展示は最初13:50くらいはガラガラだったのに、人がどんどん増えてく、このくらいの美術館なのだから人との距離感、作品を見ている先の人に追い付くようなマネは絶対するなと思う。強く。そしてもう少しみんな時間をかけて作品をみろよな。バシバシ視覚に収めていっても何も意味はない、来ただけでは意味はない、ただただ生きているだけでは意味はないのだ。

    はじめのフロアの真ん中の黒いソファがコの字に並ぶところで『牛腸茂雄全集 作品編』の存在を知る。ソファに腰かけ明るい光の下で全部読む。これは買っておこうと思った。8800円、税込。やっぱり時間の流れの中で受け継がれていくものと、先人にはできない表現、全く先人はやっぱり古いなあと思う人もいるが、その中でも作られたもの(女性の裸に、無関係な線や布などの配置)はつまらんなあ、くだらない美だなあ、むしろハッキリと嫌だなと思った。さらに印象的だったのは牛腸の『日々』を評した当時のお偉いさんの言葉、「牙のない若者たち」、これが一番印象に強い。そしてその後に発表される最後の作品集、『見慣れた街の中で』の震えるほどの良さ。ばっちりなのだ。狂うほどの熱とか、ありったけの個性とか、そういうのが牙だと思うんだけど(そこには中平の名前もあった。その後はともかく当時はそうだったのだろう)、牙という言葉で表すのがさすがだと思った。その点はすごくわかりやすいし、憧れを作りやすい。表現たるもの、牙を持たねばならぬ、というのと、裸の女性の顔を隠してその周りを囲んで色々やる、みたいなのは、どこが牙やねんと思うが、それが牙だから、そんな牙はいらん。人間に牙は不要だ、そもそもない。ありもしない夢を見るな。今では簡単な妄想となってしまった、昔の滾る興奮だ。

    帰り道、代々木八幡方面に歩くとき、突然目に入ってきた微動だにしない山鳩。道路標識の下にひっそりと佇む。うわっと小さく驚き近づくと、身体を大きく膨らませ息をしているが、嘴が尖っていなくなぜか平ら、下半分がギザギザにひしゃげていて、思わず目を逸らし、前へ。振り返り、「大丈夫か、」と声をかけつつ、立ち去る。どうしようもなかった。

  • 2023/09/16

    • 先週末から始まった仕事、調査が昨日報告書が提出できたので心が軽やかになる。期日は来週火曜であったが、韓国旅行なので特急にて完了。偉い。
    • 土日までかかるだろうな、と思っていたがスッキリと終わったため、映画を朝から観る。アルノー・デプレシャンの『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』。またしても邦題問題。僕はこだわりたい。ブラザー&シスターで良い。私の大嫌いな弟へ、とつけることで動員数が変わるのか。しかしこれも誰かの仕事でそうなっている。
    • 私はその仕事をしたその人自体を問題視していないのは明らかで、問題は、邦題、ストーリーをキャッチーに一言で表さないと、失敗する。と思われていることだ。客が入らない。タイトルで映画を選ぶ人はいるのだろうか?
    • 私は映画を一般的な映画好きと言われるくらいの量をみていて、そういったタイトルへの自らの考え、センスのある感じを肯定できる、という自負があること自体に優越感を感じたいのだろうか。
    • 「私の大嫌いな弟へ、一枚お願いします」と今の時代券売所で買うことも少ないが、シンプルに言いたくないタイトルだよなと思う。恥ずかしくないか。『エドワード・ヤンの恋愛時代』もそう。タイトルは絶対、独立時代だろ!ストーリーも含め。
    • 姉が大嫌いな弟へ、何を伝えるというのか。そういう話ではない、実際。家族が規定する固定された関係性は、単なるルールとしてあるだけで、いかなるときも固定されていないし固定されていなくもない。そういうこと、関係性の確認の連続と放棄の可能性の豊かさ、あるいは疑いの映画であるのに、嫌いな弟へ、では一方向かつ固定的。残念。
    • それにしても暑いから、渋谷のハチ公口に降りるまでも汗だくの登り降り。マークシティのエスカレーターは混みまくるから避けるから右に行くんだけど登り降りがやばい。しかし良い運動。綿でさらっとタンクトップは全くサラッとしてくれない。
    • 文化村ル・シネマは最高の映画館。暗いし席が平らで前後間隔が広い。コーヒーが美味しい。吉祥寺のパルコの下のあそこはこの前初めて行ったんだけど換気が足りていない、トイレ臭と館内の湿気がやばく、だらしない友達んちみたいな臭いがしたんだ、実際に。そこでみるクローネンバーグの新作は、とても辛く感じられた。過剰でもなければ、ややカッコいい感じ。結構意識高い系で私は恥ずかしくなってしまう。ジンジャーシロップはうまかったが、トイレ臭に尽きる。この世で結構大事なのは風通しである、というのは比喩的にも真理。
    • 主に腹と背中の汗が大量に出る体質なので、一瞬でさらりとインナーがペトペトになる。映画中も不快感がありつつ。映画はとても良いのだけど、家族、兄弟姉妹って不思議で必然性はないけどお互いに影響が強い。訳の分からない喧嘩、勝手な思い込み、兄弟だからこそのすれ違い、ぶつかりあい。親の死を泣くとき、もはや少し気持ちがいいくらいのどうしようもなさで、自分がどんどんなくなっていく、自分の必然性とかが老いや家族の死によって減っていくから、人は歴史を求める。とか思いつつも、腹と背中のペタペタが終始。映画が終わったら下着を変えよう、しかし渋谷のどこで、と常に。
    • この状態、映画に集中していないと言えるのか?という考えも常に浮かび、それ以外にも色々多分考えている。映画のことだけを考える映画って、それはもう洗脳で、あり得ない。
    • 姉からの結婚式の招待状が来ている。映画をみて、父親の葬儀の時、姉と夜長い喧嘩をしたことを思い出す。姉と自分はバランスを崩さないようお互いうまい距離でやっているし、姉は曲がったことを許さないから、助かっていることが多い。おめでとう、姉。
  • 2023/03/03

    パスポートを去年の11月に申請していてそのままだったので、時間があるときに、と思って日比谷まで行って、歩いて有楽町の交通なんとかビルに行く。日比谷は最寄り駅から行きやすいのでこの一年くらいで何度もなんども行っている。シャンテとかミッドタウンとか新旧のビルの新旧具合がわかりやすくて好きだ。当たり前だけど、古いビルは古いテナントが続いており、時が止まっている、ように見えるが時は動いていて、その中でも変わり続けているだろうジュエリーショップや、刺しゅう細工の店などがあったり。

    パスポートの申請にはかなり時間がかかるも、私は待合いのあの並んだ椅子に座っている時間が好きなので、病院などでもかなり好きな時間だ。しかし、ラーメン屋とか店の列に並ぶのは好きではない。それは座れないからだと思う。商業施設の食事処の前の座るスポットで座って待つのは好きだ。皆平等に退屈しつつ、時間をつぶしている様子。そして楽しい、おいしい、新しい何かがもらえる。病院は特にないが、単によくなる状態にしてもらって、帰れる。

    しかし、パスポートの受取は一瞬で終わった。窓口に入る前に、案内の女性に顔を映すモニター、非接触型の体温計をやらされるも、いつものように反応しない。全然でない笑というと、女性も笑ってくれて、手持ちタイプ、手首で計るのをやってくれる。そして窓口、申請書を渡すと、手前の地面にひかれている赤いラインでお待ちください、と言われ三歩くらい下がって待つ。30秒後同じ人に同じ窓口に呼ばれる。すべてが計画通りである。そして本人確認は顔のみ。今回写真が変なので若干恥ずかしい、そして顔を確認される。花粉対策として伊達メガネをしてるので最近、そして軽くパーマもあてたので、数秒まじまじと見られる、ハイ以上です、とものの数分だ。

    パスポートを貰って、10年ぶり以上の久々の発行となり、16000円払うし、なんかしらグッと充実感でもあるのかと思っていたら何にもなかった。スタンプ押されるページが富嶽百景的な絵が背景に挿入されていた。いつからなんだろう。

    本屋が同じビルにあるのでみる。『ねむらない樹』の最新号に、笹井宏之賞の左沢森の受賞作が載っているので探すもない。検索したら在庫なし。左沢森の短歌は最高、天才。狙っても書けないような作品。本当に書きたいことを書いてるからああなるし、何かを決めつけたり範囲の中でぬくぬくしない、という気概があるからああなる。早く読みたい。

    エルメスのフォーラムに行く。「インターフェアレンス」展。4人の展示、スザンナ・フリッチャーの大がかりな振動する糸の展示は、とっても楽しかった。この前みた郡司ペギオ幸夫の、地下展示作品、引き裂かれた段ボールの紐状の振動にも通ずる、別の場所とここのつながりと影響しあい、微細な影響が振動として響いていく様子。楽しんでいると、吹き抜けの上方から外国人の女性に手を振られた。手を振り返す。

    ブルーノ・ボテラの作品がとても好きになった。気持ち悪い、いやらしい、エロい、触りたい、覗きたい、中に入りたい、という欲求を刺激される。グロテスクであることは、単なる事実を見せつけられること、という当たり前に気づく。私もグロテスクなことをよくする、これからもしていきたい。会議で変なタイミングで実際のことを言ってしまう、ポジティブな流れの中で、実際のことを言うと変な影響を及ぼしてしまうが、まあそれも必要だと思う。あまりそこに自己を賭けたくはないし、プライドも捨てたいが、どうしてもそうしてしまう。

    満足した。

    出て、日比谷のキャビネットオブキュリオシティーが好きなので観にいく、横断歩道の信号を待っていると、後ろから甲高い声、小さいがとても高い周波数を感じる声で、小さい丸い太めの女性がカバンに着けたぬいぐるみのハリネズミに向かってきゃわいいね…!と言っている。そして僕の顔を見上げてきた。ハリネズミのぬいぐるみだけやけに綺麗だ。新しく買ったのだろうか、満悦の雰囲気だ。顔をみられ、目は合わせられなかった。ここで、「うん、いいね。」とみているよ、という同意や、実際にかわいいですね。と声をかけると、どんなことが始まっているのか、と想像しながら、前方に向き直ると、西日がビルの合間にさしていて、居酒屋の煙を透かしてとてもキレイだった。のでその近くに行って動画を撮る。

    キャビネットオブキュリオシティーにて服をみる。POLYPLOIDのカーゴパンツがかわいい、高い。郡司さんの『かつてそのゲームの世界に住んでいたという記憶はどこから来るのか』をようやく購入。

  • 2022/10/24

    部屋でライブのセットリストの練習をして午前中を過ごす。合間に仕事の請求書を先方へ送る、偉いね。

    晴れ豆へ向かう。代官山駅に向かう電車内で寒いし唇が乾燥したらいやだなと思って、代官山駅のコスキチに入るも、ベースを背負ってのコスキチはなんとも居心地が悪い。両脇に迫るコスメにぶつけてしまったら店員や客に嫌な顔をされてしまっては唇の乾燥どころではない。ベースの長さとリップクリームの短さも何かがちぐはぐしている気がして30秒くらいで出る。

    晴れ豆はお店の人がカウンター内もPA周りの担当の人も多くて、みんな楽しそうに仕事をしていて、いいなと思う。そしてスタッフや関係者用のお茶をたくさん種類を出してくれて最高だと思った。いろいろな薬草関連のお茶、僕はこういう効能系のお茶が大好きである。足つぼなどのマッサージを受けた後に飲む系のお茶。のぞみんやバンビさんと効能についてやんや言いながら飲む。元気。

    横沢さんのライブ、横沢俊一郎さんは、とんでもなくマンガのようで、立ち振る舞いや歌のやんわりさと、一瞬後には崩壊するかも、でもそこまでは見せないようなバランスが、魅力的だ。最近ライブで緊張しちゃうんだけど、彼のライブをみていて自由にみせる感じ、なんというか攻撃的なショーに勇気づけられる。

    タイコのライブ、序盤はいつも通りタイム感がいつも通りではないが、そこらへんも楽しめた気がする。終盤、ぽっちという曲をあきさとの歌を聴きながら弾いていると死んだ父親のことを思い出して泣けてきた。アンコールで霊感は壮大に展開を忘れてしまったがまあ大丈夫だろう。

    いろんな人に褒められてシンプルに嬉しいライブであった。

    飲み会は渋谷に移動、しかしラストオーダーが早い月曜日は早い。結局いつものあそこだ。おじいちゃんが一人で笑いながら酒を飲んでいた。終電後、晴れ豆後等さんの知っているレゲエバーで乾杯。

    タクシーでは運転手と釣りの話をする。竿は竹でもなんでもいいが、リールは新品、糸を流しやすいリールを買えとのこと。降り際、音楽には全くといって疎くて…。と気を遣ってくれる。優しい。

    釣りに行きたい。水谷さんと夏目さんと。

    12/12も良いライブをしたい。お客さんもいっぱい。チケットはここから買えます。ここで見て買ってくれた人には絶対良いことが近いうちに訪れます。そんな人はかなり優しい人なのです。

    https://linktr.ee/taiko_nami_ishi

  • 2022/10/07

    会社の歓迎会があり、会社兼お店でみなさんと飲む。色々とその人のこれまでがあり今そうなっていることを、改めて知る。私もそうだ。

    とてもたくさん飲んで、私はスナックに行くのが好きですというと、解散する前に社長が行きたい人はスナックにいきましょうと誘う。とても嬉しくなり元気に歌い、飲む、人の歌はいつも意外で嬉しい。歌ってくれるだけで嬉しくなる人がいる。そういう人はなんだか信頼している。

    タクシーの運転手、61歳のおっちゃんに下北沢の蕎麦屋で定期的に集まっていることを聞く。あっという間に家につき、娘と連絡が取れないことなどを聞く。60点くらいのタクシー会話であった。波長と酔いの程度、点数をつけるなよ。

    ninoheronの”Moon”のMVがとってもカッコいい。命の右下のフック。とてもオリジナルな音楽だ。

  • 2022/07/29

    やると決めたことが、自分で決めたわけではないが、やってきたやるべきことが、二三個終わって、しかも週末が出勤となると、褒められたりして気分もよく、最近筋トレ、スロートレーニングを一日おきに10分ずつ、できればそのあとにエアロバイクあるいはスイミングを継続的に行っていることで朝からややテンションが高いので、しかしあまり眠れない日も多い。よくもまあ、とこの暑い中全然自分が体力があるから、と、意ともせず、よく考えもせず、仕事を休んで、これまではそうしてきて、間に合うときは間に合うし、クオリティはそれなり、に保ってこれた。しかし、引き延ばしはそれ自体が体に悪い気もする、それがいい具合にテンションになっているから、ストレスはテンション、身体と心の張りを生む。

    20代にまでがヒトの生きるに値する正しい世界だ、ということを読んで、まあ確かに太るしな、生物・動物・生き物としては、確かにそうだろうなと、街を歩く大勢の老人、働く中年、工事現場の焼けたおじいのタバコ休憩などをみていて、僕ももうこちらに入っている。どっぷりとこちらだ。白髪は増え続けている、お腹周りはなかなか減らない、しかしダイエットが楽しいし、仕事で金を稼いで給料は上がっても全然たまらないのが不思議でおもろい、服はいろいろな店に積極的に入るも何も欲しくない、ほしいのは化粧水やボディーソープでいい匂いのものや、アロマオイルなど。あと本しか買ってないのに、競馬や競艇、借金だ。金のかからない趣味、音楽を作ったり、分析したり、お金がもらえるのは不思議だ。

    私は中年に入り、迷いがなくなった。迷いがないというのはきっと、何かを決める、ひとつに決めるのではなく、どちらでもよい、後の祭り状態、帰ってもいいしな、朝を迎えてもいいし、一人で帰ってもいいし、このまま誰かんちいってもいいな、とそのずーっとを引き受けることだ。しかし、ずーっとはずーっと続くし、悩みは増え続ける。このままずっと同じことを?と長い将来を考える。当たり前に。

    確かに面白いことは、かなり少ない。交友関係もかなり狭いし、イベントにも顔を出さんが、ただそうした中でずっと考えている自分と自分と自分。

    ライブがある今度、その準備が楽しくもあり、大変でもある。楽しくもあり大変でもある。楽しくもあり、大変でもある。これが死ぬまで続いていくのみ。絶滅は近い!!!!!!!!!!

  • 2022/07/17

    2022/07/17

    住んでいる駅も、都心に向かわない方、午前中に乗ると、それはまた旅の空気だ。

    向かい側のホーム、都心へ向かう人たち、明らかに何か意味を求めるから都心にいく。買い物、デート、文化、お金を使いに、あるいはお金を稼ぎに仕事へ行く。

    1人旅をするとき、向かいのホームの人を見る時間は普段よりも長く、普段向かいのホームの人を見るときよりも想いを巡らせる。それは1人の寂しさ、孤独である時間にしか過ぎらない思いや、1人であるからこその感情の中に存在できるからであり、感情は自分の中にあるのではないことがよくわかる。

    とても関係のない人たちが、自分とは逆に行くのをみるのは、不安も大きく同時にとても心地よく、そこにこそ一人旅の良さがある。

    人間は人間同士、全く異なる風貌をして、全く違った声で話す、しかし大体は同じ、似ている、と言える。どちらにつくか、この違った、と、似ている、について。正しさと虚偽、確らしさと出鱈目、言葉は何かを正しく伝えるために出来たのだから、嘘を嘘であると正しく伝えるために使われる嘘の言葉は全くもって正しいことになる。

    逆に、これは本当で、正しくて、良いもので、素晴らしいもので、為されるべきものごとで、必要で、導いて、決まっていて、明らかで、強い、かっこいい、いけていて、宜しい、ということを言葉で伝える時、言葉はそもそも『言葉にならない、定まらないもの』を伝えるためにできたのだから、その決まったものを伝えるという点で、唯一の明らかな虚偽なのだ。

    ノグッチと清水さんと初の競艇に、多摩川競艇に行く。府中本町からバスで向かう。府中本町には登戸から南武線、こっち側に来ると意味を失いつつあり、とてもやはりというかギャンブルに向いている土地、磁場がある。

    母方の祖父は競艇が好きでよく戸田競艇に行っていたらしい。多摩川競艇には老人がやはり多く、バスに乗りながら、一度祖父と競艇に行き、色々と教えてもらいたかった、その中で話すことも多いだろう、と思ったがもう死んでしまったので、それは一度として実現しない。しかし今のこの思いは実現している、これはこの限りでとんでもなく純粋な真実であると思う。

    清水さんはなぜか財布を忘れてきた。柵越しに100円玉を渡す。入場後、一万円札を貸すと、アメリカンランチのバッグにそのままいれた。

    競艇は、六台のボートが走る、18頭の馬よりも格段に簡単だろうと思っていたが、初めの一レースしか当たらなかった。清水さんは競馬よりも哲学性が高い、という。より当たらないことがわかる。確かに。

    府中本町の焼き鳥屋は良い、洞窟平家の向こう側にあった、自然に店があった。

    選挙や政治、ノグッチの旅の話を聴く。選挙は変えようとする時点でダメだと思う話。民意の反映、という大きなすり替えによってただの民衆大バーゲン祭りの定量を、民主主義という定性的価値にすり替えているだけなのだ、保守に対して逆張りのことは誰でも言える、もっと大切なことはもっとある、もっともっと自分で考える人が政治をやるなら投票したい、投票しようと言いたい。

    変えるためには、自分でやるしかないだろう。

    あるいは清水さんの言う、変えると思うのではなく、変わらないのだから、自分がいかに変わらないでいるかを大切にすること、を大切にしたい。

  • 2022/06/12

    2022/06/12

    ・昨日は駅近くの焼鳥屋に行った。焼鳥といいつつ、焼きトンの店、は必ず美味しい。そして、漬け物、糠漬けのつかり具合が浅くてとてもよろし。カリカリのアブラがうまい。ホッピーは白、三杯いけちゃう。

    ・その後いつものスナックへ。おじさんにはその人オリジナルの感動があり、歯の抜け方や話し声には死んだ父親を感じる。わたしもおじさんである。立派なおじさん。立派なおじさんと立派な女性が見事にタバコを吸い歌い会話する場所。隣の白髪の短髪角刈のおっちゃんが町会長をしていたという。

    ・その話から、その駅の近くの川まで歩く。鷺がいる川、おじいさんと孫が川の中で何かを探している。何かがいるだろうそれは、綺麗な川だから。鷺は僕の存在を認めて、放尿した。その量は大さじ2杯といった感じで、どう考えても小分けしていそうだ。勢いの良い。

    ・川から横に道を、緑道を抜けた先の銭湯へ。その前によく話す店主のいる雑貨、古着屋へいくも、欲しいものはない。この後銭湯へいきます、というと僕のメッシュのバックをみて荷物少ないですねー。いや、この手ぬぐい一本で。かっこいいー!

    ・銭湯開店直後、挨拶をする近隣のじいさんたち。オケを使ってお湯を掛け合ってはしゃいでいる、今日の湯の温度がいつもより熱いらしい、それを身体に掛け合って、笑っている。よれよれの身体で、ゆっくりと動き、ぎりぎり湯から上がって、それにかける、笑う。手を上げて、またな、と。

    ・Alminum Groupが新譜を出していた