感情と暴力

ネタバレについては全く気にしたことがない、そもそも「ネタの漸次的暴露」として作品をみていないから。ネタは種、つまりコア、エッセンスであるだろう。その意味で一言化、スローガン化ともいえる。一言による抽象化は私にとっては本来の意味での抽象化としては感じられない。一言の感想、つまりは、「感動した」「絶対いいからとにかく見て」「最高!」「泣いたわ」「見ればわかる」「見ないと損」「3分でわかる」「わかった」「とっても理解した」「誰よりも理解した」「わからない」「説明してほしい」「説明を要求する」「わからないことがわかるまで説明するまで絶対に離さない」


決して、言いたいことを真正面切って、忙しい現代人同士お互いのスケジュールや気分をおもんぱかりつつも、「ここはあえて伝えさせていただきたい」、言いたいことを真正面切って、あるいは喫煙所での”タバコミュニケーション”によって伝える必要はなく、菊畑でも回遊しながら、フルートでも吹きながら、ほとんど独り言のようにつぶやき続ければいいのだ。相手に聞こえない声が一番、もし聞こえてたら、わかってくれたらただただ嬉しいと思う。

暴力について、友達が「『メイドの手帖』を観て、身体的な暴力だけが暴力ではないことに改めて気づいた。」という趣旨の話をしたときに、「ああ、モノを投げる、とかね。」と間抜けた返答をしてしまったが、暴力とはそもそも、と思い語源を調べてみた、

  • 『日本語源広辞典 増補版』(増井金典著 ミネルヴァ書房 2012)「暴力」の項の説明では、「中国語で、「暴(乱暴)+力」が語源」とあり、「violence」には言及していない。『明治のことば辞典』(惣郷正明,飛田良文編 東京堂出版 1986)「暴力」の項なし。「暴動」はあるが、項中に「violence」はない。

とあるように、英語の”VIOLENCE”との関連は薄く、「肉体の力を四方八方に発動し暴れる」というフィジカルなイメージの強い言葉である。”VIOLENCE”の語源として面白かったのが、印欧語源だ。

  • 精力的に強い願望で何かを求めること。 また強さや力を意味する名詞形の語根。violentなどの由来として、力で対処すること。印欧語根wī̆-ro-に関係。(To go after something, pursue with vigor, desire, with nown forms meaning force, power.)

この印欧語根wī̆-ro-の派生元”weiə-”もみるとわかるように、「激しい内面の欲求を誇示する」こと、gain,world,Man,invite,violate(werewolfまで!)も同じ語源である。おそらく「魅力的に力強く惹きつけて金稼ぐからあまねく犯せる世界を制覇できる」というような意味を持つ言葉の「響き」であるだろう。マジックなワードである。魔術的である。ハッキリ言って気持ちが悪い。


ということで、暴力という言葉には、バイオレンスへと立ち返るにしても、どこかその悪性を「やんちゃな魅力」のなかに混ぜて、なかったことにする力がどうもありそうだ、と考えたのだ。

暴力という名詞ではなく、この気持ち悪さを精緻化する言葉が欲しいとき、私には「感動」がこれにあたるのではないかと思える。外的な影響によって心が動いたとき、その結果の善悪が重要であるが、外的な影響を発する側(これがほとんど私たちの生活すべてである)に必要な姿勢として、「感動」を強いていないか?という内的な自動反省だ。

誰かの心を動かしすぎていないか?殴らなければ、何をしてもいいのか?

SNSには暴力と告知とくだらなさと美しさに溢れているから、やめた。

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