タグ: 他人

  • 企画:知らない人同士で釣りを始める

    企画:知らない人同士で釣りを始める

    誰か釣りを始めないか多摩川あたりで。知らない人同士で、まずは釣り竿を買いに行くところから。そして話しましょう。

    第一回 初心者同士、釣竿を買いに行く

    僕はほとんど釣りやったことない初心者です。昔バス釣り漫画にハマっておもちゃみたいなルアーやワームを集めていました。釣りに行った経験は小学生の時に二回くらいしかない。

    できないままはじめましょう、釣り餌とか魚とか触れればOK。みんなで、試行錯誤を、知らない人とやりたい。店行って違うなと思ったら買わずに他のことしてもいいですね。

    気が合いそうな知らない人、釣り始めたいなと思ってた人、興味あれば下のアドレスに連絡ください。

    私含め奇跡的に3人以上集まったらやりましょう!

    akiospirit57@gmail.com

  • 悪口良い口写真

    悪口良い口写真

    宮益坂の交差点のとこはスクランブル交差点と比べてなかなか好き。スクランブルしない方がダイナミックで良いよな。みんなが動く中この人は止まっていた。

    最近動画のキャプションのところに人名とインスタのアカウント名をずらずらと並べてそれぞれ@〜、みたいなのをみんな持っているのがアホらしい、とシンプルに思った。いつぞやのヤンキーかと。それぞれがせっせと画像をあげているし、アカウントを持たぬものにはチラ見せでそれ以上はみれないシステム。差別システムやろうが、みんなシステムに奉仕するのをやめて見上げろ。鳥の行方やヘリの音を追え。見たいものを見ろ。見たいものには全て見せろ。見ること欲するものを拒むな。見ることを欲する自分を拒むな。

    アトランタのダリウスのこの帽子が好きでほしい。髪を伸ばしたら帽子が似合うというかしっくりくるようになったから帽子を被るのが最近のブームなんだ。これどのブランドかわかるってAIに聞いたらわからんとすぐに限界。Googleで画像検索したら海外の知恵袋みたいなサイトで既に何回も質問されてるらしく、同じ質問すんな、みたいな回答もあったりしつつ特定できたが、送料込みで14000くらいになるからアホらしくてやめた。

    信念なんかもたないし、加担もしない。自分の探究をやめないし、知らないままであることは悔しいし恥ずかしいことだと思う。

    いい茶こ。近所でよく行く店が結構好きだと思ってたんだけど、なんか通ううちにつまらんくなってきたし行くたびに帰ってメンタル、気分悪くなってるなと思ってあんまし行くのやめようと考えてる。帰り道の店は店主が外国の人に変わってから、変な絡みもなく、新メニュー試してよって言われて注文すると喜んでくれる本心で。あぶらも四角くてうまい。そんでいい茶こはめちゃいい飲み物。いいちこは頭痛くなんない。金宮は痛い。宝焼酎は痛くならないらしい。

    新宿にて木の間に収まってモニターを凝視する男の子。収まりがよく、周りを全く気にしていない。

    恵比寿ガーデンプレイスから降りてくる坂にある室外機とコーンによるかなり気持ちいいことになっている見応えある置き。グッとくる。ピッタリなようで全く収まっていないところがモノらしい。

    島に向かう船で、20分間ずっと向かう島にカメラを向け映像を撮り続けていた彼を尊敬する。

    角海老って『ニュー』がつくのもあるよね。街角の角海老の下にはほんとに普通の住宅しかない。角海老って何って思ったりするが調べないでいいこともあるし、別に興味ない。住宅地に似合わぬ大きさの看板に裏から見てワクワクして表きて角海老かよ…、ってなったが一応撮る。そんでなんかこの写真の手前の窓、かなり心霊写真の気配を感じるのは僕だけか。

    傾きすぎだけど自然な信号。綺麗。

  • 私の使い方

    私の使い方

    田植えよりはやく蜻蛉の産卵の間隔乱す暴走の拍

    水中のサムネイルばかり貼り合わせ背中を丸め爪先を見る

    電球の位置から落ちる電球は時から外れた音を散らかす

    知らない洗剤の香りが届くベランダでわたしは何か強いていないか

    頭蓋骨左は野原で右は海海は白波野は風と雪

    桂馬、桂馬、桂馬、桂馬、ホームまで辿り着いたら水が必要

    これからの季節夕方の商店街惣菜買って歩きつつ浮く

    歯の全貌映るモニターの枠外に雷雨のマーク急ぎて帰る

    酒の後腹はまだらに染まり上がる余りに赤く弱い肉だな

    プール上がりインド・ネパールカレー屋でビーフン食いつつ見る甲子園


    今日干せばよかったものをと思いつつ陽の香りせぬ寝床をととのえ

    ぼくぼくと夜空を殴る音がしてもう間に合わぬ思い走らす

    勇敢になりたい何度も起きて食べて寝る何度も起きて当然のよに

    一緒にいるほどにタイトになりはせず伸びては縮む輪ゴムの香り

    磨り硝子越しの生活に滞空しふと切り返し着地するまで

    わたしだけ素面になりつつ在るような夏の終わりの夜の涼しさ

    翅揺する蛾の丸い目にハナクソを穿るわたしは映るだろうか

    ベランダの向かいの屋根の燐光が月の形を証明している

    よく見ればリミナルスペースを走る二輪の後輪少し浮いてる

    B面の素敵な曲を発見し、父と母との違いを想う


    伊勢丹でドバイ、出張、たまに日本、会計の間に自慢する人

    透明の漏斗漏斗に籠りたる香りを嗅いで何も買わない

    一度倒れても戻ってきては曲をかける彼の顔には何も映らず

    暗がりの壁に形を刻みいるゴーストライト緑の機械

    遂に我々は迷子の目覚ましもせず目覚ましもせずに

    糖度増すトマトは角を持ち合わさず頬擦り痩せて破れる将来

    置き去りのピルケースには四粒の墓石色の縦長の錐

    そうじゃない方の袖へと腕を出すいつから此処が私の居場所

    開かれることのなかった箱の中溢れ続ける音だけの砂

    四百の全校生徒が教室の窓より見下ろす立ち枯れの吾


    あーん風外側追越すだけじゃなく内側も撫で透かしておくれ

    誰のためでもない私の窓を開け風吹き抜ける制作の予感

    温もりは冷める物のみ与えらむ小さく弱れよ今も太陽

    告白は退けらるとも迸らむゆけゆるやかなポジティビティー

    理不尽がまかり通った残らないその跡を辿る腹を空かせて

    賭けに出よ世界に放てマルチラブ次回のことは誰も知らない

    まるで強い麻酔にかかったかのように眠気に揺られて過ぎた二時間

    感想が「酷い事だね」に尽きてしまう二人はこれから何を飲み食う

    このモールの売りは道玄坂へ着く新たな裏の道であること

    「普通にある不安を敢えて試さない」、ネーデルラントのその人は言う


    昼間止まった路線で帰る動けるものから一様に動きはじめる

    面よりも奥の景色は目の遣りがいがあってホントに助かってるよ

    迫害の後に広がる大草原いかにも自然という顔をして

    目を瞑り青い宇宙の目立たない端でただよわせてくれる曲

    突沸の拍手が幾つ鳴ろうとも私の手だけは誰も打てない

    親しげな会話余裕ある話し振り憧れと同じ程否定したい

    キャパシティと呼ばれるヒトの内側に満ち満ちている血と脂の量

    10、9、8、7号車に次ぐ10、9、8、7号車により8両を成す 

    水平線まで光の束が揺れ伸びる観客は皆それを観ている

    外出の際は心に冷えた桃産毛を擦って残る苦味を

  • 2023/09/16

    • 先週末から始まった仕事、調査が昨日報告書が提出できたので心が軽やかになる。期日は来週火曜であったが、韓国旅行なので特急にて完了。偉い。
    • 土日までかかるだろうな、と思っていたがスッキリと終わったため、映画を朝から観る。アルノー・デプレシャンの『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』。またしても邦題問題。僕はこだわりたい。ブラザー&シスターで良い。私の大嫌いな弟へ、とつけることで動員数が変わるのか。しかしこれも誰かの仕事でそうなっている。
    • 私はその仕事をしたその人自体を問題視していないのは明らかで、問題は、邦題、ストーリーをキャッチーに一言で表さないと、失敗する。と思われていることだ。客が入らない。タイトルで映画を選ぶ人はいるのだろうか?
    • 私は映画を一般的な映画好きと言われるくらいの量をみていて、そういったタイトルへの自らの考え、センスのある感じを肯定できる、という自負があること自体に優越感を感じたいのだろうか。
    • 「私の大嫌いな弟へ、一枚お願いします」と今の時代券売所で買うことも少ないが、シンプルに言いたくないタイトルだよなと思う。恥ずかしくないか。『エドワード・ヤンの恋愛時代』もそう。タイトルは絶対、独立時代だろ!ストーリーも含め。
    • 姉が大嫌いな弟へ、何を伝えるというのか。そういう話ではない、実際。家族が規定する固定された関係性は、単なるルールとしてあるだけで、いかなるときも固定されていないし固定されていなくもない。そういうこと、関係性の確認の連続と放棄の可能性の豊かさ、あるいは疑いの映画であるのに、嫌いな弟へ、では一方向かつ固定的。残念。
    • それにしても暑いから、渋谷のハチ公口に降りるまでも汗だくの登り降り。マークシティのエスカレーターは混みまくるから避けるから右に行くんだけど登り降りがやばい。しかし良い運動。綿でさらっとタンクトップは全くサラッとしてくれない。
    • 文化村ル・シネマは最高の映画館。暗いし席が平らで前後間隔が広い。コーヒーが美味しい。吉祥寺のパルコの下のあそこはこの前初めて行ったんだけど換気が足りていない、トイレ臭と館内の湿気がやばく、だらしない友達んちみたいな臭いがしたんだ、実際に。そこでみるクローネンバーグの新作は、とても辛く感じられた。過剰でもなければ、ややカッコいい感じ。結構意識高い系で私は恥ずかしくなってしまう。ジンジャーシロップはうまかったが、トイレ臭に尽きる。この世で結構大事なのは風通しである、というのは比喩的にも真理。
    • 主に腹と背中の汗が大量に出る体質なので、一瞬でさらりとインナーがペトペトになる。映画中も不快感がありつつ。映画はとても良いのだけど、家族、兄弟姉妹って不思議で必然性はないけどお互いに影響が強い。訳の分からない喧嘩、勝手な思い込み、兄弟だからこそのすれ違い、ぶつかりあい。親の死を泣くとき、もはや少し気持ちがいいくらいのどうしようもなさで、自分がどんどんなくなっていく、自分の必然性とかが老いや家族の死によって減っていくから、人は歴史を求める。とか思いつつも、腹と背中のペタペタが終始。映画が終わったら下着を変えよう、しかし渋谷のどこで、と常に。
    • この状態、映画に集中していないと言えるのか?という考えも常に浮かび、それ以外にも色々多分考えている。映画のことだけを考える映画って、それはもう洗脳で、あり得ない。
    • 姉からの結婚式の招待状が来ている。映画をみて、父親の葬儀の時、姉と夜長い喧嘩をしたことを思い出す。姉と自分はバランスを崩さないようお互いうまい距離でやっているし、姉は曲がったことを許さないから、助かっていることが多い。おめでとう、姉。
  • 2022/07/17

    2022/07/17

    住んでいる駅も、都心に向かわない方、午前中に乗ると、それはまた旅の空気だ。

    向かい側のホーム、都心へ向かう人たち、明らかに何か意味を求めるから都心にいく。買い物、デート、文化、お金を使いに、あるいはお金を稼ぎに仕事へ行く。

    1人旅をするとき、向かいのホームの人を見る時間は普段よりも長く、普段向かいのホームの人を見るときよりも想いを巡らせる。それは1人の寂しさ、孤独である時間にしか過ぎらない思いや、1人であるからこその感情の中に存在できるからであり、感情は自分の中にあるのではないことがよくわかる。

    とても関係のない人たちが、自分とは逆に行くのをみるのは、不安も大きく同時にとても心地よく、そこにこそ一人旅の良さがある。

    人間は人間同士、全く異なる風貌をして、全く違った声で話す、しかし大体は同じ、似ている、と言える。どちらにつくか、この違った、と、似ている、について。正しさと虚偽、確らしさと出鱈目、言葉は何かを正しく伝えるために出来たのだから、嘘を嘘であると正しく伝えるために使われる嘘の言葉は全くもって正しいことになる。

    逆に、これは本当で、正しくて、良いもので、素晴らしいもので、為されるべきものごとで、必要で、導いて、決まっていて、明らかで、強い、かっこいい、いけていて、宜しい、ということを言葉で伝える時、言葉はそもそも『言葉にならない、定まらないもの』を伝えるためにできたのだから、その決まったものを伝えるという点で、唯一の明らかな虚偽なのだ。

    ノグッチと清水さんと初の競艇に、多摩川競艇に行く。府中本町からバスで向かう。府中本町には登戸から南武線、こっち側に来ると意味を失いつつあり、とてもやはりというかギャンブルに向いている土地、磁場がある。

    母方の祖父は競艇が好きでよく戸田競艇に行っていたらしい。多摩川競艇には老人がやはり多く、バスに乗りながら、一度祖父と競艇に行き、色々と教えてもらいたかった、その中で話すことも多いだろう、と思ったがもう死んでしまったので、それは一度として実現しない。しかし今のこの思いは実現している、これはこの限りでとんでもなく純粋な真実であると思う。

    清水さんはなぜか財布を忘れてきた。柵越しに100円玉を渡す。入場後、一万円札を貸すと、アメリカンランチのバッグにそのままいれた。

    競艇は、六台のボートが走る、18頭の馬よりも格段に簡単だろうと思っていたが、初めの一レースしか当たらなかった。清水さんは競馬よりも哲学性が高い、という。より当たらないことがわかる。確かに。

    府中本町の焼き鳥屋は良い、洞窟平家の向こう側にあった、自然に店があった。

    選挙や政治、ノグッチの旅の話を聴く。選挙は変えようとする時点でダメだと思う話。民意の反映、という大きなすり替えによってただの民衆大バーゲン祭りの定量を、民主主義という定性的価値にすり替えているだけなのだ、保守に対して逆張りのことは誰でも言える、もっと大切なことはもっとある、もっともっと自分で考える人が政治をやるなら投票したい、投票しようと言いたい。

    変えるためには、自分でやるしかないだろう。

    あるいは清水さんの言う、変えると思うのではなく、変わらないのだから、自分がいかに変わらないでいるかを大切にすること、を大切にしたい。

  • フィッシング詐欺とWANDS(世界が終るまでは… )

    フィッシング詐欺とWANDS(世界が終るまでは… )

    2022/6/25にフィッシング詐欺に引っかかってしまった。仕事のインタビューを終えて、ベッドに寝転んで休んでいてメールを確認しているとAmazonから支払いの更新ができておらずアカウントが失効する、「もう」アカウントは停止します。ともう、にひっかかったものの、んぼーっっとしていたので、やべえ!早く!と打ち込んだ。一度Amazon.co.jpに飛ぶのもミソで、こんなん引っかかってもしょうがない、と恥ずかしさを打ち消す。恥ずかしい、絶対に引っかからないと思っていた。

    すぐにカードを停止したのち、5時間後、引き落とし不能を告げるメールが来た。私はデビッドカードを使っているのですぐに引き落としがされるのだ。238000円と58000円、20万の方はカーアクセサリー店、5万の方はジェラピケとか販売しているサイトだった、怖い、自分で稼いだお金ではないのに、豊かな生活をしようとしている。怖い、私はとても脆弱、もろく、攻撃を受けやすい、バルネラブルな存在である、カードは怖い。

    この、フィッシング詐欺、詐欺を受けてお金を失ったとしても、もし他人(中国人?)の生活を豊かにするためだけに頑張って稼いだお金を持っていかれたとしても、最近は住民税の支払いが天引きになっておらず意外な請求がきたり、借金の返済や、辞めた時期の関係で前の会社への返金によって結構痛い額を持っていかれたり、損をこうむる、みんなが私のお金を持って行ってしまうイメージ、そんなことはない、全ては私の問題である。

    私が何かしなければ、あるいは、何かをしていれば、お金は持っていかれない。お金はあるほうが幸せなのか?損をしたのは自分なのか?何かをしなければ、あるいは何かをしていれば、ということは、そもそも何も変わっていないのでは?

    そう何も変わらないのである。この世界が終わるまでは、お金があろうと、なかろうと、私の問題であることは何も変わらない、というのは確信にいたるべき存在である。突風でまぶたが裏返ろうと、家が火事で燃え尽きたとしても、私の問題である。

    何が問題なのか?、何の問題が私に関係しているのか?

    「世界が終わるまでは 離れることもない」

    宇宙がなくなるまでは、離れることができない

    世界と宇宙は、それ自体の存在にしか因っていないため、存在していなく存在していなくもない存在である。存在である、といえるだけ、存在である、しかしそれをまるっと認めるさらに大きな容器を持たないため、不確定な、揺らぎやすい、脆弱な存在である。まさにフィッシング詐欺で他人のジェラピケを買わされる人間のような状態である。

    宇宙・世界・神がフィッシング詐欺にあったら、ほんとうに誰も助けてくれない。他者の利益を拡張するために、自分の資産、あるいはもって生まれたもの、資質を動かし、エネルギーの代償として得てきた、培ってきたこの私の一体で離散の結果であるものたちを、誰もが狙っている、そしてそれは、その者自身の問題であるのだ。

    世界が終わるまでは離れることもない、その絶対的確信において、自分こそがすべての問題である、ということ。

    何の問題が自分であるのか?

    • 使命をもって、何かに貢献し、何かを極める必要はないこと
    • 使命感をもってコミットし己の役割を果たすこと
    • 何も考えず、死をまつこと
    • 対価を得る、奪う、圧倒すること
    • 価値を伝えること、またその価値を価値であるということを伝えること
    • 全く無意味なことに耽溺すること
    • 考えている自分自身を愛すること
    • よくわからないことでも、よくわからない、と思うこと
    • よくわからないことでも、わからないといえない人のことをわかってあげること
    • 全てを台無しにすること、また、それを深く後悔すること
    • 寄り分け、間を探し、常に間に存在していること

    そして、圧倒的に何もかわらない。夏の雲、水を浴びた後、それは今では区民プールだ、そしてそのあと夏の空の雲、濃厚な青と白、まるで物のような雲を見るとき、同時に筋肉が動いているあの感じ、空は同じだ、いつでも同じだと思うように、圧倒的に何も変わることはない。小学生のころ、おそらく小学校のプールに昼間に、土曜の昼間に向かう道の空、暑かった。小さいころはよくキャップをかぶっていた、ナイキのキャップ、それをかぶってずっと下を向いて歩いていたが、ふと雲を見ようと顔をあげた瞬間太陽の光、鼻血が水鉄砲のように噴出し、目の前の電柱を真っ赤にした。その赤、しかしそれは現実だったか?夢であったか?あるいは、隣に一緒に歩いていた友達、あるいはその友達にいつもついてきたその弟のものであったか?

    過去と夢は違うのか、過去の夢を現在思い出す、というのは、いったい全体何をしているのか。世界は終わることはない。

  • 2022/06/12

    2022/06/12

    ・昨日は駅近くの焼鳥屋に行った。焼鳥といいつつ、焼きトンの店、は必ず美味しい。そして、漬け物、糠漬けのつかり具合が浅くてとてもよろし。カリカリのアブラがうまい。ホッピーは白、三杯いけちゃう。

    ・その後いつものスナックへ。おじさんにはその人オリジナルの感動があり、歯の抜け方や話し声には死んだ父親を感じる。わたしもおじさんである。立派なおじさん。立派なおじさんと立派な女性が見事にタバコを吸い歌い会話する場所。隣の白髪の短髪角刈のおっちゃんが町会長をしていたという。

    ・その話から、その駅の近くの川まで歩く。鷺がいる川、おじいさんと孫が川の中で何かを探している。何かがいるだろうそれは、綺麗な川だから。鷺は僕の存在を認めて、放尿した。その量は大さじ2杯といった感じで、どう考えても小分けしていそうだ。勢いの良い。

    ・川から横に道を、緑道を抜けた先の銭湯へ。その前によく話す店主のいる雑貨、古着屋へいくも、欲しいものはない。この後銭湯へいきます、というと僕のメッシュのバックをみて荷物少ないですねー。いや、この手ぬぐい一本で。かっこいいー!

    ・銭湯開店直後、挨拶をする近隣のじいさんたち。オケを使ってお湯を掛け合ってはしゃいでいる、今日の湯の温度がいつもより熱いらしい、それを身体に掛け合って、笑っている。よれよれの身体で、ゆっくりと動き、ぎりぎり湯から上がって、それにかける、笑う。手を上げて、またな、と。

    ・Alminum Groupが新譜を出していた

  • 2022/05/28

    • 朝、10時半くらいにデニーズにいった。きれいなデニーズ。小さいころ、連れてってもらってうれしい場所デニーズ。券をとって順番待ちをする。6番である、2番が呼ばれている、いないようで3番、自分が券をとる直前も男女が券をとった直後、5番ということである、同フロアにある100円ショップにでも行こうか、と言って入口を離れた、3番はいた、入っていき、もうすぐに4番が呼ばれ、4番もいない、5番は僕は「いない」ことをわかっているが、係員は知らない。すぐに6番である。入れた。思ってたよりも10分の1の待ち時間だった。しかし、なんとなく待たない気もしていた気もする。
    • その前にはペットショップにも行った。ケースの中にいる子犬、成犬は売られていない、子犬が扉の僅かな隙間に鼻先を突っ込んでこちらの臭いをかいでくる、足元の方を見ている、足は強くにおうのかやはり。目が合う、というのはほとんど会話である。目を合わせないように努めるおばさんは、夕方の散歩、サンダルでぽてぽて歩く健やかで軽い気分を地面に留まらせる。
    • 100円ショップで買ったバドミントンで、公園でバトミントンをする、サンダルなので機動性がなくすぐにやめた。意外とできるし、楽しい、わきの下が良く伸びる。
    • 公園で寝ながら『無敵のソクラテス』。はだしになって。いろいろな極小の虫が頭からバッグまで、なんでも行き来している気がする。ソクラテスとその妻であるクサンチッペと、フェミニストが性について討論をする。美女コンテストの話。
    • 久々にプールに行った。休日は混んでいるイメージだったが、たぶんみんなそう思っているから、平日となんら変わらない混みよう。最近は泳ぐのと同じくらい水中で歩いている。いろいろな型をつくる、横にスライドしたり肩甲骨をよせながら歩いたり、スライドする際に手を拳法のように左右に交差して、効率的に水をかく。あといつも通り半手、右手だけのバタフライ、これはほんとに飛ぶのでストレスが飛ぶ、動物のようなしなる身体、もっとうねりを…!とか思う。
    • 近くの店で今日久々に会う(と思っていた)人への手土産としてバターサンドを買う。いつもここの店員さんはかなり間に合っていない。注文のタイミングも読めない。バイトになってサクサクさばいてあげたい。しゃばい笑顔で。
    • 新宿南口から長いスロープを初めて降りてほとんど三丁目まで行くルート、初めて降りた、こういう道は大好き。悠々とする、その前のあそこ、人が多いとこ、よくパフォーマンスしているとこで、ゆずのような二人組がやっていたり、ちょっと太めのセンターの男を含む三人組ダンスユニットもいたが、二人組のギターユニットはなかなかの人だかり、おばさんが小気味よく身体を揺らす、半身はオーディエンス側に向いていて、曲を知っているのだろうな、ハモリのほうの男子に張り付いた満面の笑みが本日の新宿をあらわしている。
    • 店に着く、最近はマスクをしているので、一人でいるときに街を歩くときは小さい声で話しながら歩いている、「センスよ…」とか「おいおい」とかそんくらいあとは口笛も吹く、どんな風に知らない人からしたら感じられるのだろうか。店は6階、エレベーターホールで地下に向かう家族、ベビーカー、夫は俺が来たのを見て確認し、素振りの素振りを始める、このすぶりのそぶり、ある種の人間に特有の、間の持たせ方であったり、独特の恥じらいの埋め合わせのようなものだな。そして6階に着き入口にいた店員さんに予約の名前を告げると、ないみたいですね…と、確認すると、結局はその予定は来週だったのだった。
    • 瞬間顔は真っ赤っかになり、余裕ぶって到着したのに汗だくになっている、伊勢丹、ウーマンなど行こうかとそれぞれ一瞬間ずつ迷うがもちろんいかない。
    • 帰りの電車で、優先席に座っていると、前にベビーカーを持った家族、夫は連結部の扉前に立つ感じ、しばらくして連結部の扉をみる夫、小学生くらいの子どもが移動してきたようだ、夫はさっと身体をよけ、子どもを通してあげる、子どもは歩いて、立ち止まり、振り向いて、夫をしっかりと見上げ「ありがとうございます。」と、言った。夫はうなづく。俺は笑いがこぼれた。座っている妻も笑う。とても良いと思った。普通のボリュームで子どもっぽくない声だった。大人でも子どもでも関係ない。昨日やばおばさんに電車内で手を叩かれたのもあり、救われる思い。ちゃんとコミュニケーションしよ。

  • まだともう

    まだともう

    もう光らないネオンサインが陽を浴びるどこに出しても恥ずかしくない

    重ねたり何度振ろうが内容は混ざり合わないけど燃える本

    ほんとうに欲しいものだけ手に入れた背中ばかりが遺されていく

    水の目に映った首のやわらかい筋 見て私 ため息少し

    感じ取りあ、とかおおとか言いながら集まり、だよね、と確認してる

    角が取れ丸みを帯びて毛羽立ってくるりと尻尾を丸める年齢

    今日という今日の最後に聴く曲が『揚げたて唐揚げ』でもいい気もする

    薄紅が充電されて上がりつつ単独の鳥、焦らなくていい

    霊感のようなあらゆる考えが駆ける自由は制約のよう

    ただ歩いているだけなのに鳩は逃げ車は道を譲ってくれる


    未だ「わたし」と切り落とされず笑ってる子どもと犬は訳なく笑う

    五年振りに点灯したマジック、長いまつ毛の頬が火照って

    鳥たちのサンクチュアリを背に負ってスモーキンする老カウボーイ

    凪の屋上、泣く君のためなす術もなく凧揚げて風を起こそう

    彼は胸に刻んだその詩の最後だけ歪ませ青へペダルを踏割る

    予想された爆発は起きなかったが陶磁器の羽の欠片を拾う

    もらった物、全て生きてる内になくしてしまう人が確かに居た

    大写しされてもサンドワームには未だ音しか感覚できず

    混んでいる待合室に入るなり「賑やかだな」と言った五歳児

    眠い目にやさしい朝の川に映る世界の街の家の抽象


    駅前のコンビニの前に「無」があって改札通るまでに忘れる

    すれ違う目を伏せた女性の悩みがすっとわかる気がしただけ

    蕎麦を食いながら何かを呟いてる宇宙と同じくらい「知らない」

    いつの間にか降り出した雨か、魚の息か、どちらかどれほど見てもしらない

    ゆくゆくは夏には麻の冬は綿のふくろを被るだけになりたい

    イベントでどんな顔して過ごすのが正解なのかわかる日が来る

    一本五百円もする一本の水を首筋に当て体温下げる

    玄関に積み上げられた古タイヤどこにもいけず子供が泣いてる

    意味という言葉が意味を持っていないことに気づいた煙草が旨い

    「答え」なく正面玄関で待ち合わせお辞儀を重ねて家に帰ろう


    夢なんていつもみられる水の月ではどこにでも座っていられる

    むせかえるほどの寓話とサウダージ 判決を待つ鳥が鳴いてる

    公園に尻の根つけてストレッチするまだ何も起こりはしない

    感覚は別段特に迸らず、ゆけゆるやかなポジティビティー

    もう1ミリも急がないぞと急に誓う表参道のB5近くで

    全ての叡智のようなオレンジ色をしてマックスマーラのベージュ拡がる

    あの変なマジック帽をかぶる人は今日の月蝕をみたのだろうか

    長袖でタトゥー隠して沖縄のソバの作り方を学びつつある

    前の席の貧乏揺するおじさんを兵士の中に立たせてみたり

    喫茶店にしては長すぎるドラムソロが終わってピアノが戻る


    焼けて焦げたこのにおいだけを持っていければただそれで全うしたと

    寝惚けてる雀のまあるい額をね撫でるとしたら右の小指か

    たった二両の山手線が原宿に到着したら笑うだろうな

    HOLYとHOLISTICは同じこと誰が為何故鐘は鳴るのか

    パーマとPERMANENT は同じことアフロディーテを求めてのこと

    朝ぼらけ虹を見ている人たちの背中にぼんやり浮かび上がる虹

    朝ぼらけ「もっとみんな」と呼びかける霜柱溶けパーマ上がりつ

    一つ一つ臓器がみんな縦に並ぶシステマティックな快感を得る

    私の首よラナンキュラスの弛みの分だけもう少し水を通して

    大切な引越しの日に植物を買って待ってることができるよ


    腹巻をネックウォーマーに見做すとき見えない場所が光を鳴らす

    四分の三が同じの彼の名をボタンを縫うかのように摘んだ

    決断も突き詰めもせず息継ぎの仕方も知らずに皮膚で歩まん

    さようなら何度目の冬、動けるか。動いているか君の迷惑

    金輪際正しさとアドバイスなどくれてくれるな透明の君

    買ったことない金魚鉢を胸元で質感重みありありと持つ

    汗だくのワンピースほど近づいて駅のベンチで寝起きのよいこと

    投げ縄のツールで描いたような街眉間の皺を見開き伸ばす

    タンカーに乗っていたというおじさんと海沿いの風呂で遠い線観る

    たった今私の瞼を裏返し風は私をここに置き去り


    金を忘れ金を捨て去る最善の方法はただ金稼ぎにあり

    この空気で話をふられたとしても子供の頃の話はできるが

    雄弁か寡黙か私の内分泌外に出るたび涙とされる

    咲くことをしない蕾にある美学自重に首をへし折るまでの

    泡を立て肌の間で滑らせてお湯で流したあとは知らない

    オジサンに肩を抱かれて指さされ「何だと思う、猛禽だよ」と

    冴え渡る、意識に任せて三叉路の右を選べば焼き鳥の店

    アナログな欲望によるデジタルな制圧を突くたった一点

    発表の場所を待たれぬ創作の素振りのたびの蜂蜜の風

    花を買い手に持ち帰る誇らしい気持ちに彼もあるのだろうか


    これほどにまっさらになるはずはなかった誰のためにもならないほどに

    どれもこれも扉の方から開いてくる難しいことなんていらない

    取りこぼしなく誰ひとり置き去りにせずペテン師の顔を浮かべて

    どこにでも向かう必要なんてなく身体のすぐそこ体の温流

    水筒を持ち歩く人のパーソナルスペースはただ蛸壺のよう

    車中泊する人と犬、朝になる「禁止されてる」とただ告げられる

    わたしにも幾つかわけのあるように彼も彼女も事情があって

    居酒屋のキレイキレイが水増して何度押そうがとりとめもない

    誰からも祝福される恋愛は、今はまだしもいつになるのか