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  • 9-11月に観た映画などなどなど

    9-11月に観た映画などなどなど

    日記を韓国のALLWRITEで買ったノートに書いている。そのノートの表紙がいかしてるから買った。古び切ったカビなども生えているだろう車のリアシート、ファブリックは破れまくって色褪せる、チリにと芥となってどこかに飛んでいったのだろうまさに「風化」といった様子のシート。その上に炭酸水の瓶が1ダース入るえんじ色のプラスチックケースが置かれている。えんじ色は早稲田大学を思い出す。あの変な熊と。一切思い入れがない大学というもの、ただそれによって今に続いている仕事についているという可能性は大きいが、面白くはないよなまったく。自分は人生を面白くしたいと思っているタイプだと思っていたが、実際は家でマンガを読んだりゲームしている時間が一番好きなのである。友達や外出したりすること、一人で酒を飲んだり、何か表現したりすることは、何か機会があれば…、くらいでよい。全く求められないと動きがない私。道に駐車場に停まっている車、その中にある炭酸水やシートの頭のところにプロレスマスクが被さっていたり、そのようなところをみたくなる気持ち。関係のない、全く関係のない家の中は覗けることは少ないが車の中は知らない・関係のないままに覗いてもOKだからOK。スティル・ウォーター、まるで湯沸かしポットの中に置かれている、一回お湯になって使われずそのままになっている、水に戻ったような状態。スイッチさえ入ればまた沸騰し殺菌されるが、全くそれは最初の湯とは無関係であるような。

    音沙汰のない友達に年末会おうと連絡してから、もう年末が来ている。重く怠いが会ってしまえばそれなりに。しかし彼は酒をあんまし飲まなくなったし、すぐに喫茶店に行こうというのだ、僕は年末なら酒を飲み続けていたいから、そういうところも重く怠い気持ちにつながる勝手に。


    9月に観た映画

    • ラナ・ゴゴペリゼ 『インタビュアー』『昼は夜よりも長い』
    • サロメ・アレクシ 『幸福』
    • フリッツ・ラング 『処刑人もまた死す!』
    • 山中瑶子 『ナミビアの泉』
    • 五十嵐耕平 『SUPER HAPPY FOREVER』

    10月に観た映画

    • アンダース・エンブレム 『HUMAN POSITION』
    • 石井裕也 『愛にイナズマ』
    • 沖田 修一 『横道世之介』『おらおらでひとりいぐも』『モヒカン故郷に帰る』
    • 空音央 『HAPPYEND』
    • 佐藤真 『エドワード・サイード OUT OF PLACE』
    • リアム・ファーマガー 『スージーQ』
    • アレクサンダー・ペイン 『ホールド・オーヴァーズ』

    11月に観た映画

    • 金川晋吾(西澤諭志) 『father 2011-2013』『father 2015.05.18』『father 2008.12.08』
    • ピーター・ウィアー 『ピクニックatハンギング・ロック』
    • ホン・サンス 『リスト』
    • ジャファール・パナヒ 『人生タクシー』
    • 滝田洋二郎 『コミック雑誌なんかいらない!』

    全然観れてないというのも19時からの仕事が2週間続いたり、定期的かつ連続的な仕事が入っているのだ最近は。そのおかげで感情があんまし動かんし、なんといっても毎朝エアロビしてるから外に出なくても平気。毎日とある駅に夜いかないといけない仕事があったんだけど、立ち食い蕎麦屋で今日は何蕎麦にしようか、卵を追加しようか、天丼・カレーにいくのもあり、と考えるだけで私は幸せになれるから。こんなことがあった、明日はゲソ天蕎麦に追加で生卵だとずーっと考え続けた結果それを注文したんだけど、ゲソ天蕎麦には初めから卵がついていて、追加の卵をあわせて私は二つも夜に卵を食べたんだ。別皿で来たから溶かしてつけ麺的に食った一回だけ、でもそれはそれほど楽しい経験ではなかったので、結局丼に放り込んだ。非常に記憶に残る出来事。そのままの短歌も詠んだ。こういうことばかり人生で感じていたい。そして帰り道その店をグーグルマップで調べてあげられているゲソ天蕎麦の写真を確認する、そこには卵は付いていなかった…!毎日通うことへのサービスが発生したのか?????あんなに愛想がないのに?????と更に興奮したわけである。ただしその三日後いった時に頼んだ春菊天蕎麦には何もつかない。

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    (2025/02/07追記)

    この店のメニューには「○○天」と「○○天玉」があることが再訪により理解された。要するに「ゲソ天玉」に「玉子」を追加していただけだった。「勘違い」というものはかなりのエンタメ性がある。生まれて死ぬまで全ては勘違いや思い違いなのではないかとすら思える。

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    本当に自分の価値観と合わない洒落ている、綺麗なだけの映画を観たとき、私は憤慨する。そこには何もないから。何もないことを美しいと思っているのか。それぞれの形態において、向き・不向きというものがあるだろう、という話だ。

    『横道世之介』はとっても良かった。吉高由里子も、高良健吾も普段とは違う人物になっているだろう、そういう人がいる感じがちゃんと感じて、しっかり感動した。JAIHOでみた『コミック雑誌なんかいらない!』も内田裕也に初めて興味を持った、カッコいいのかもしれない…!と。何にも内田裕也のこと知らないし何にも言えないけど、声がめっちゃ小さかったり、ただその時代の新宿とかみれるだけでいいし、あと最後にビートたけしがかなりイケてる。


    【ナイスシングス】

    • ポーラテック アルファダイレクト90使用のミッドレイヤーパーカー:これはいい。25000円は価値あり。軽すぎるしあったかすぎるので、これを脱ぎ着すれば、アウターは薄めのナイロンジャケットで十分である。重いジャケットも良いが、電車とかで暑すぎるのがマジで嫌いだから。
    • 伊勢原のジンギスカン伊勢原:モクモク系焼肉屋。とにかく幸福になる。良い服で行ってはいけないよ。
    • 会津 下郷郡 塔のへつり:友達と旅行に行った。初めて紅葉が美しいと思った。本当に。
  • 2023/09/16

    • 先週末から始まった仕事、調査が昨日報告書が提出できたので心が軽やかになる。期日は来週火曜であったが、韓国旅行なので特急にて完了。偉い。
    • 土日までかかるだろうな、と思っていたがスッキリと終わったため、映画を朝から観る。アルノー・デプレシャンの『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』。またしても邦題問題。僕はこだわりたい。ブラザー&シスターで良い。私の大嫌いな弟へ、とつけることで動員数が変わるのか。しかしこれも誰かの仕事でそうなっている。
    • 私はその仕事をしたその人自体を問題視していないのは明らかで、問題は、邦題、ストーリーをキャッチーに一言で表さないと、失敗する。と思われていることだ。客が入らない。タイトルで映画を選ぶ人はいるのだろうか?
    • 私は映画を一般的な映画好きと言われるくらいの量をみていて、そういったタイトルへの自らの考え、センスのある感じを肯定できる、という自負があること自体に優越感を感じたいのだろうか。
    • 「私の大嫌いな弟へ、一枚お願いします」と今の時代券売所で買うことも少ないが、シンプルに言いたくないタイトルだよなと思う。恥ずかしくないか。『エドワード・ヤンの恋愛時代』もそう。タイトルは絶対、独立時代だろ!ストーリーも含め。
    • 姉が大嫌いな弟へ、何を伝えるというのか。そういう話ではない、実際。家族が規定する固定された関係性は、単なるルールとしてあるだけで、いかなるときも固定されていないし固定されていなくもない。そういうこと、関係性の確認の連続と放棄の可能性の豊かさ、あるいは疑いの映画であるのに、嫌いな弟へ、では一方向かつ固定的。残念。
    • それにしても暑いから、渋谷のハチ公口に降りるまでも汗だくの登り降り。マークシティのエスカレーターは混みまくるから避けるから右に行くんだけど登り降りがやばい。しかし良い運動。綿でさらっとタンクトップは全くサラッとしてくれない。
    • 文化村ル・シネマは最高の映画館。暗いし席が平らで前後間隔が広い。コーヒーが美味しい。吉祥寺のパルコの下のあそこはこの前初めて行ったんだけど換気が足りていない、トイレ臭と館内の湿気がやばく、だらしない友達んちみたいな臭いがしたんだ、実際に。そこでみるクローネンバーグの新作は、とても辛く感じられた。過剰でもなければ、ややカッコいい感じ。結構意識高い系で私は恥ずかしくなってしまう。ジンジャーシロップはうまかったが、トイレ臭に尽きる。この世で結構大事なのは風通しである、というのは比喩的にも真理。
    • 主に腹と背中の汗が大量に出る体質なので、一瞬でさらりとインナーがペトペトになる。映画中も不快感がありつつ。映画はとても良いのだけど、家族、兄弟姉妹って不思議で必然性はないけどお互いに影響が強い。訳の分からない喧嘩、勝手な思い込み、兄弟だからこそのすれ違い、ぶつかりあい。親の死を泣くとき、もはや少し気持ちがいいくらいのどうしようもなさで、自分がどんどんなくなっていく、自分の必然性とかが老いや家族の死によって減っていくから、人は歴史を求める。とか思いつつも、腹と背中のペタペタが終始。映画が終わったら下着を変えよう、しかし渋谷のどこで、と常に。
    • この状態、映画に集中していないと言えるのか?という考えも常に浮かび、それ以外にも色々多分考えている。映画のことだけを考える映画って、それはもう洗脳で、あり得ない。
    • 姉からの結婚式の招待状が来ている。映画をみて、父親の葬儀の時、姉と夜長い喧嘩をしたことを思い出す。姉と自分はバランスを崩さないようお互いうまい距離でやっているし、姉は曲がったことを許さないから、助かっていることが多い。おめでとう、姉。
  • 2022/10/24

    部屋でライブのセットリストの練習をして午前中を過ごす。合間に仕事の請求書を先方へ送る、偉いね。

    晴れ豆へ向かう。代官山駅に向かう電車内で寒いし唇が乾燥したらいやだなと思って、代官山駅のコスキチに入るも、ベースを背負ってのコスキチはなんとも居心地が悪い。両脇に迫るコスメにぶつけてしまったら店員や客に嫌な顔をされてしまっては唇の乾燥どころではない。ベースの長さとリップクリームの短さも何かがちぐはぐしている気がして30秒くらいで出る。

    晴れ豆はお店の人がカウンター内もPA周りの担当の人も多くて、みんな楽しそうに仕事をしていて、いいなと思う。そしてスタッフや関係者用のお茶をたくさん種類を出してくれて最高だと思った。いろいろな薬草関連のお茶、僕はこういう効能系のお茶が大好きである。足つぼなどのマッサージを受けた後に飲む系のお茶。のぞみんやバンビさんと効能についてやんや言いながら飲む。元気。

    横沢さんのライブ、横沢俊一郎さんは、とんでもなくマンガのようで、立ち振る舞いや歌のやんわりさと、一瞬後には崩壊するかも、でもそこまでは見せないようなバランスが、魅力的だ。最近ライブで緊張しちゃうんだけど、彼のライブをみていて自由にみせる感じ、なんというか攻撃的なショーに勇気づけられる。

    タイコのライブ、序盤はいつも通りタイム感がいつも通りではないが、そこらへんも楽しめた気がする。終盤、ぽっちという曲をあきさとの歌を聴きながら弾いていると死んだ父親のことを思い出して泣けてきた。アンコールで霊感は壮大に展開を忘れてしまったがまあ大丈夫だろう。

    いろんな人に褒められてシンプルに嬉しいライブであった。

    飲み会は渋谷に移動、しかしラストオーダーが早い月曜日は早い。結局いつものあそこだ。おじいちゃんが一人で笑いながら酒を飲んでいた。終電後、晴れ豆後等さんの知っているレゲエバーで乾杯。

    タクシーでは運転手と釣りの話をする。竿は竹でもなんでもいいが、リールは新品、糸を流しやすいリールを買えとのこと。降り際、音楽には全くといって疎くて…。と気を遣ってくれる。優しい。

    釣りに行きたい。水谷さんと夏目さんと。

    12/12も良いライブをしたい。お客さんもいっぱい。チケットはここから買えます。ここで見て買ってくれた人には絶対良いことが近いうちに訪れます。そんな人はかなり優しい人なのです。

    https://linktr.ee/taiko_nami_ishi

  • フィッシング詐欺とWANDS(世界が終るまでは… )

    フィッシング詐欺とWANDS(世界が終るまでは… )

    2022/6/25にフィッシング詐欺に引っかかってしまった。仕事のインタビューを終えて、ベッドに寝転んで休んでいてメールを確認しているとAmazonから支払いの更新ができておらずアカウントが失効する、「もう」アカウントは停止します。ともう、にひっかかったものの、んぼーっっとしていたので、やべえ!早く!と打ち込んだ。一度Amazon.co.jpに飛ぶのもミソで、こんなん引っかかってもしょうがない、と恥ずかしさを打ち消す。恥ずかしい、絶対に引っかからないと思っていた。

    すぐにカードを停止したのち、5時間後、引き落とし不能を告げるメールが来た。私はデビッドカードを使っているのですぐに引き落としがされるのだ。238000円と58000円、20万の方はカーアクセサリー店、5万の方はジェラピケとか販売しているサイトだった、怖い、自分で稼いだお金ではないのに、豊かな生活をしようとしている。怖い、私はとても脆弱、もろく、攻撃を受けやすい、バルネラブルな存在である、カードは怖い。

    この、フィッシング詐欺、詐欺を受けてお金を失ったとしても、もし他人(中国人?)の生活を豊かにするためだけに頑張って稼いだお金を持っていかれたとしても、最近は住民税の支払いが天引きになっておらず意外な請求がきたり、借金の返済や、辞めた時期の関係で前の会社への返金によって結構痛い額を持っていかれたり、損をこうむる、みんなが私のお金を持って行ってしまうイメージ、そんなことはない、全ては私の問題である。

    私が何かしなければ、あるいは、何かをしていれば、お金は持っていかれない。お金はあるほうが幸せなのか?損をしたのは自分なのか?何かをしなければ、あるいは何かをしていれば、ということは、そもそも何も変わっていないのでは?

    そう何も変わらないのである。この世界が終わるまでは、お金があろうと、なかろうと、私の問題であることは何も変わらない、というのは確信にいたるべき存在である。突風でまぶたが裏返ろうと、家が火事で燃え尽きたとしても、私の問題である。

    何が問題なのか?、何の問題が私に関係しているのか?

    「世界が終わるまでは 離れることもない」

    宇宙がなくなるまでは、離れることができない

    世界と宇宙は、それ自体の存在にしか因っていないため、存在していなく存在していなくもない存在である。存在である、といえるだけ、存在である、しかしそれをまるっと認めるさらに大きな容器を持たないため、不確定な、揺らぎやすい、脆弱な存在である。まさにフィッシング詐欺で他人のジェラピケを買わされる人間のような状態である。

    宇宙・世界・神がフィッシング詐欺にあったら、ほんとうに誰も助けてくれない。他者の利益を拡張するために、自分の資産、あるいはもって生まれたもの、資質を動かし、エネルギーの代償として得てきた、培ってきたこの私の一体で離散の結果であるものたちを、誰もが狙っている、そしてそれは、その者自身の問題であるのだ。

    世界が終わるまでは離れることもない、その絶対的確信において、自分こそがすべての問題である、ということ。

    何の問題が自分であるのか?

    • 使命をもって、何かに貢献し、何かを極める必要はないこと
    • 使命感をもってコミットし己の役割を果たすこと
    • 何も考えず、死をまつこと
    • 対価を得る、奪う、圧倒すること
    • 価値を伝えること、またその価値を価値であるということを伝えること
    • 全く無意味なことに耽溺すること
    • 考えている自分自身を愛すること
    • よくわからないことでも、よくわからない、と思うこと
    • よくわからないことでも、わからないといえない人のことをわかってあげること
    • 全てを台無しにすること、また、それを深く後悔すること
    • 寄り分け、間を探し、常に間に存在していること

    そして、圧倒的に何もかわらない。夏の雲、水を浴びた後、それは今では区民プールだ、そしてそのあと夏の空の雲、濃厚な青と白、まるで物のような雲を見るとき、同時に筋肉が動いているあの感じ、空は同じだ、いつでも同じだと思うように、圧倒的に何も変わることはない。小学生のころ、おそらく小学校のプールに昼間に、土曜の昼間に向かう道の空、暑かった。小さいころはよくキャップをかぶっていた、ナイキのキャップ、それをかぶってずっと下を向いて歩いていたが、ふと雲を見ようと顔をあげた瞬間太陽の光、鼻血が水鉄砲のように噴出し、目の前の電柱を真っ赤にした。その赤、しかしそれは現実だったか?夢であったか?あるいは、隣に一緒に歩いていた友達、あるいはその友達にいつもついてきたその弟のものであったか?

    過去と夢は違うのか、過去の夢を現在思い出す、というのは、いったい全体何をしているのか。世界は終わることはない。