タグ: フェミニズム

  • 『MYSTERIOUS SKIN』を観て

    思い出すきっかけが与えらえれることで、見事に思い出し、思い出した記憶によって、今の自分がその時失われた正しい反応を取り戻すように、直感的に安心できる他者に寄りかかり、身体を震わせ、涙と唾を垂れ流し、怯えることができてから、本当はここからどのようにして「健康で文化的な最低限度の生活(と言われている、僕はスタート地点としてこれはかなり良い定義だと思う)」を始められるのか、というのが非常に難しのだろうが。

    実家に久々に帰る直前、親友のすすめで最低賃金でのバイトを始めた日(バイトをしようという意思を確認できたときの親友の顔、本当に良かったよ…。)に、それが起こるというのは想定されるべきドラマではあるが、核心をついている。どのようにして認め、立ち直るのか。

    晶文社スクラップブック『フェミニズムでは救われない男たちのための男性学 藤田直哉』の今日までの最新回まで読んでいるが、ここで書かれていることを考える。

    悲しいことであるが、「男性性=支配・犯す側」を回復するために、性虐待の加害者になる者もいる。それを「吸血鬼神話」として偏見を助長するのだと批判する向きもある(宮地尚子)。『性的虐待を受けた少年たち』によれば性的虐待を受けた男性のうち12%が加害者になっている。『少年への性的虐待』では、若い成人男性の加害者を調査した結果、80%近くがかつて虐待を経験した被害者であった。逆に、子どもの時に虐待を受けた者を調査した結果、その後虐待者になったのは20%ほどであり、80%は虐待者になっていなかったという。多くの者は虐待を再生産していないのは事実であるが、この数字をどう解釈するのかは難しいところである。

    (「第九回:男性の(性)被害──「男性差別」「司法の女割」を考える」より)

    この映画で描かれるセクシュアリティを過度に美化・異化して自分との違いを強調したいわけではないが、これもまた本能的あるいは社会的に作られるものとして理解できる。しかし、それは幼少期にある人を対象とする場合、あるいは同意が得られない相手を対象として実際の行為が行われることは、とんでもない悪であるということだ。そこをセーブができないものは、どのような原因があるにしろ、(かなり厳しいことになるだろうが)その原因と向き合う手段や機会を持ち、色々なことを考えて、治療や乗り越え、先の記事であがっていた「解離」状態からの復帰をどこかで、誰かによって、自分によって、しないといけないのだろう。きっと誰かがそこにいないといけない。

    原因のないものに対しては、「ダークな性質」を持つものに対しては、どうするのか…、そもそも生まれつきそのような人はいないだろうと信じたいが…。とにかく、その同意(快不快、楽しい楽しくない、好き嫌い、という原始的な反応ではなく、自分にとって本当に良いことかどうかを客観的な対象として考える能力があること、あるいはそのような環境にあること)が可能ではない対象や状況に対し、行動を制御できない人間というものは、あらゆる意味で悪魔である。

    自分の性癖的なところにも向き合う必要があるが、ここでそれを書くことは絶対にしないしする必要はない。誰にも言うべきことでないことが必ずある。僕はよく飲み過ぎてしまうことがあるのだけど、その時何を求めているのだろうか、何に対応しようとしているのか、単に考えないためにしているのか。自分が負った傷や違和感、もしかしたら解離して捨て放った記憶というものがあるのかもしれない、と怖くなる。だからあの時とか、自分の中でなんか変な状況とか、日常とは違った環境に置かれ、年上の人と過ごす必要があったときのことをもう少し思い出してみよう。何も思い出ない。

    自分にできることといえば、自分を無為にしないこと、小さな子への目配せをすること、年少者への男性性を振りかざさないこと、自分の中の男性性と女性性をどちらもことさらに否定しないまま捉え考えること、自分のされた行為や態度、状況設定を必ずや繰り返さないこと。過去を変えることは絶対にできないが、過去を頼りに、繰り返さないことで、何かが変わると思う。

  • 2022/05/28

    • 朝、10時半くらいにデニーズにいった。きれいなデニーズ。小さいころ、連れてってもらってうれしい場所デニーズ。券をとって順番待ちをする。6番である、2番が呼ばれている、いないようで3番、自分が券をとる直前も男女が券をとった直後、5番ということである、同フロアにある100円ショップにでも行こうか、と言って入口を離れた、3番はいた、入っていき、もうすぐに4番が呼ばれ、4番もいない、5番は僕は「いない」ことをわかっているが、係員は知らない。すぐに6番である。入れた。思ってたよりも10分の1の待ち時間だった。しかし、なんとなく待たない気もしていた気もする。
    • その前にはペットショップにも行った。ケースの中にいる子犬、成犬は売られていない、子犬が扉の僅かな隙間に鼻先を突っ込んでこちらの臭いをかいでくる、足元の方を見ている、足は強くにおうのかやはり。目が合う、というのはほとんど会話である。目を合わせないように努めるおばさんは、夕方の散歩、サンダルでぽてぽて歩く健やかで軽い気分を地面に留まらせる。
    • 100円ショップで買ったバドミントンで、公園でバトミントンをする、サンダルなので機動性がなくすぐにやめた。意外とできるし、楽しい、わきの下が良く伸びる。
    • 公園で寝ながら『無敵のソクラテス』。はだしになって。いろいろな極小の虫が頭からバッグまで、なんでも行き来している気がする。ソクラテスとその妻であるクサンチッペと、フェミニストが性について討論をする。美女コンテストの話。
    • 久々にプールに行った。休日は混んでいるイメージだったが、たぶんみんなそう思っているから、平日となんら変わらない混みよう。最近は泳ぐのと同じくらい水中で歩いている。いろいろな型をつくる、横にスライドしたり肩甲骨をよせながら歩いたり、スライドする際に手を拳法のように左右に交差して、効率的に水をかく。あといつも通り半手、右手だけのバタフライ、これはほんとに飛ぶのでストレスが飛ぶ、動物のようなしなる身体、もっとうねりを…!とか思う。
    • 近くの店で今日久々に会う(と思っていた)人への手土産としてバターサンドを買う。いつもここの店員さんはかなり間に合っていない。注文のタイミングも読めない。バイトになってサクサクさばいてあげたい。しゃばい笑顔で。
    • 新宿南口から長いスロープを初めて降りてほとんど三丁目まで行くルート、初めて降りた、こういう道は大好き。悠々とする、その前のあそこ、人が多いとこ、よくパフォーマンスしているとこで、ゆずのような二人組がやっていたり、ちょっと太めのセンターの男を含む三人組ダンスユニットもいたが、二人組のギターユニットはなかなかの人だかり、おばさんが小気味よく身体を揺らす、半身はオーディエンス側に向いていて、曲を知っているのだろうな、ハモリのほうの男子に張り付いた満面の笑みが本日の新宿をあらわしている。
    • 店に着く、最近はマスクをしているので、一人でいるときに街を歩くときは小さい声で話しながら歩いている、「センスよ…」とか「おいおい」とかそんくらいあとは口笛も吹く、どんな風に知らない人からしたら感じられるのだろうか。店は6階、エレベーターホールで地下に向かう家族、ベビーカー、夫は俺が来たのを見て確認し、素振りの素振りを始める、このすぶりのそぶり、ある種の人間に特有の、間の持たせ方であったり、独特の恥じらいの埋め合わせのようなものだな。そして6階に着き入口にいた店員さんに予約の名前を告げると、ないみたいですね…と、確認すると、結局はその予定は来週だったのだった。
    • 瞬間顔は真っ赤っかになり、余裕ぶって到着したのに汗だくになっている、伊勢丹、ウーマンなど行こうかとそれぞれ一瞬間ずつ迷うがもちろんいかない。
    • 帰りの電車で、優先席に座っていると、前にベビーカーを持った家族、夫は連結部の扉前に立つ感じ、しばらくして連結部の扉をみる夫、小学生くらいの子どもが移動してきたようだ、夫はさっと身体をよけ、子どもを通してあげる、子どもは歩いて、立ち止まり、振り向いて、夫をしっかりと見上げ「ありがとうございます。」と、言った。夫はうなづく。俺は笑いがこぼれた。座っている妻も笑う。とても良いと思った。普通のボリュームで子どもっぽくない声だった。大人でも子どもでも関係ない。昨日やばおばさんに電車内で手を叩かれたのもあり、救われる思い。ちゃんとコミュニケーションしよ。