- 先週末から始まった仕事、調査が昨日報告書が提出できたので心が軽やかになる。期日は来週火曜であったが、韓国旅行なので特急にて完了。偉い。
- 土日までかかるだろうな、と思っていたがスッキリと終わったため、映画を朝から観る。アルノー・デプレシャンの『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』。またしても邦題問題。僕はこだわりたい。ブラザー&シスターで良い。私の大嫌いな弟へ、とつけることで動員数が変わるのか。しかしこれも誰かの仕事でそうなっている。
- 私はその仕事をしたその人自体を問題視していないのは明らかで、問題は、邦題、ストーリーをキャッチーに一言で表さないと、失敗する。と思われていることだ。客が入らない。タイトルで映画を選ぶ人はいるのだろうか?
- 私は映画を一般的な映画好きと言われるくらいの量をみていて、そういったタイトルへの自らの考え、センスのある感じを肯定できる、という自負があること自体に優越感を感じたいのだろうか。
- 「私の大嫌いな弟へ、一枚お願いします」と今の時代券売所で買うことも少ないが、シンプルに言いたくないタイトルだよなと思う。恥ずかしくないか。『エドワード・ヤンの恋愛時代』もそう。タイトルは絶対、独立時代だろ!ストーリーも含め。
- 姉が大嫌いな弟へ、何を伝えるというのか。そういう話ではない、実際。家族が規定する固定された関係性は、単なるルールとしてあるだけで、いかなるときも固定されていないし固定されていなくもない。そういうこと、関係性の確認の連続と放棄の可能性の豊かさ、あるいは疑いの映画であるのに、嫌いな弟へ、では一方向かつ固定的。残念。
- それにしても暑いから、渋谷のハチ公口に降りるまでも汗だくの登り降り。マークシティのエスカレーターは混みまくるから避けるから右に行くんだけど登り降りがやばい。しかし良い運動。綿でさらっとタンクトップは全くサラッとしてくれない。
- 文化村ル・シネマは最高の映画館。暗いし席が平らで前後間隔が広い。コーヒーが美味しい。吉祥寺のパルコの下のあそこはこの前初めて行ったんだけど換気が足りていない、トイレ臭と館内の湿気がやばく、だらしない友達んちみたいな臭いがしたんだ、実際に。そこでみるクローネンバーグの新作は、とても辛く感じられた。過剰でもなければ、ややカッコいい感じ。結構意識高い系で私は恥ずかしくなってしまう。ジンジャーシロップはうまかったが、トイレ臭に尽きる。この世で結構大事なのは風通しである、というのは比喩的にも真理。
- 主に腹と背中の汗が大量に出る体質なので、一瞬でさらりとインナーがペトペトになる。映画中も不快感がありつつ。映画はとても良いのだけど、家族、兄弟姉妹って不思議で必然性はないけどお互いに影響が強い。訳の分からない喧嘩、勝手な思い込み、兄弟だからこそのすれ違い、ぶつかりあい。親の死を泣くとき、もはや少し気持ちがいいくらいのどうしようもなさで、自分がどんどんなくなっていく、自分の必然性とかが老いや家族の死によって減っていくから、人は歴史を求める。とか思いつつも、腹と背中のペタペタが終始。映画が終わったら下着を変えよう、しかし渋谷のどこで、と常に。
- この状態、映画に集中していないと言えるのか?という考えも常に浮かび、それ以外にも色々多分考えている。映画のことだけを考える映画って、それはもう洗脳で、あり得ない。
- 姉からの結婚式の招待状が来ている。映画をみて、父親の葬儀の時、姉と夜長い喧嘩をしたことを思い出す。姉と自分はバランスを崩さないようお互いうまい距離でやっているし、姉は曲がったことを許さないから、助かっていることが多い。おめでとう、姉。
タグ: 風通し
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2023/09/16
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まだともう
もう光らないネオンサインが陽を浴びるどこに出しても恥ずかしくない
重ねたり何度振ろうが内容は混ざり合わないけど燃える本
ほんとうに欲しいものだけ手に入れた背中ばかりが遺されていく
水の目に映った首のやわらかい筋 見て私 ため息少し
感じ取りあ、とかおおとか言いながら集まり、だよね、と確認してる
角が取れ丸みを帯びて毛羽立ってくるりと尻尾を丸める年齢
今日という今日の最後に聴く曲が『揚げたて唐揚げ』でもいい気もする
薄紅が充電されて上がりつつ単独の鳥、焦らなくていい
霊感のようなあらゆる考えが駆ける自由は制約のよう
ただ歩いているだけなのに鳩は逃げ車は道を譲ってくれる
未だ「わたし」と切り落とされず笑ってる子どもと犬は訳なく笑う
五年振りに点灯したマジック、長いまつ毛の頬が火照って
鳥たちのサンクチュアリを背に負ってスモーキンする老カウボーイ
凪の屋上、泣く君のためなす術もなく凧揚げて風を起こそう
彼は胸に刻んだその詩の最後だけ歪ませ青へペダルを踏割る
予想された爆発は起きなかったが陶磁器の羽の欠片を拾う
もらった物、全て生きてる内になくしてしまう人が確かに居た
大写しされてもサンドワームには未だ音しか感覚できず
混んでいる待合室に入るなり「賑やかだな」と言った五歳児
眠い目にやさしい朝の川に映る世界の街の家の抽象
駅前のコンビニの前に「無」があって改札通るまでに忘れる
すれ違う目を伏せた女性の悩みがすっとわかる気がしただけ
蕎麦を食いながら何かを呟いてる宇宙と同じくらい「知らない」
いつの間にか降り出した雨か、魚の息か、どちらかどれほど見てもしらない
ゆくゆくは夏には麻の冬は綿のふくろを被るだけになりたい
イベントでどんな顔して過ごすのが正解なのかわかる日が来る
一本五百円もする一本の水を首筋に当て体温下げる
玄関に積み上げられた古タイヤどこにもいけず子供が泣いてる
意味という言葉が意味を持っていないことに気づいた煙草が旨い
「答え」なく正面玄関で待ち合わせお辞儀を重ねて家に帰ろう
夢なんていつもみられる水の月ではどこにでも座っていられる
むせかえるほどの寓話とサウダージ 判決を待つ鳥が鳴いてる
公園に尻の根つけてストレッチするまだ何も起こりはしない
感覚は別段特に迸らず、ゆけゆるやかなポジティビティー
もう1ミリも急がないぞと急に誓う表参道のB5近くで
全ての叡智のようなオレンジ色をしてマックスマーラのベージュ拡がる
あの変なマジック帽をかぶる人は今日の月蝕をみたのだろうか
長袖でタトゥー隠して沖縄のソバの作り方を学びつつある
前の席の貧乏揺するおじさんを兵士の中に立たせてみたり
喫茶店にしては長すぎるドラムソロが終わってピアノが戻る
焼けて焦げたこのにおいだけを持っていければただそれで全うしたと
寝惚けてる雀のまあるい額をね撫でるとしたら右の小指か
たった二両の山手線が原宿に到着したら笑うだろうな
HOLYとHOLISTICは同じこと誰が為何故鐘は鳴るのか
パーマとPERMANENT は同じことアフロディーテを求めてのこと
朝ぼらけ虹を見ている人たちの背中にぼんやり浮かび上がる虹
朝ぼらけ「もっとみんな」と呼びかける霜柱溶けパーマ上がりつ
一つ一つ臓器がみんな縦に並ぶシステマティックな快感を得る
私の首よラナンキュラスの弛みの分だけもう少し水を通して
大切な引越しの日に植物を買って待ってることができるよ
腹巻をネックウォーマーに見做すとき見えない場所が光を鳴らす
四分の三が同じの彼の名をボタンを縫うかのように摘んだ
決断も突き詰めもせず息継ぎの仕方も知らずに皮膚で歩まん
さようなら何度目の冬、動けるか。動いているか君の迷惑
金輪際正しさとアドバイスなどくれてくれるな透明の君
買ったことない金魚鉢を胸元で質感重みありありと持つ
汗だくのワンピースほど近づいて駅のベンチで寝起きのよいこと
投げ縄のツールで描いたような街眉間の皺を見開き伸ばす
タンカーに乗っていたというおじさんと海沿いの風呂で遠い線観る
たった今私の瞼を裏返し風は私をここに置き去り
金を忘れ金を捨て去る最善の方法はただ金稼ぎにあり
この空気で話をふられたとしても子供の頃の話はできるが
雄弁か寡黙か私の内分泌外に出るたび涙とされる
咲くことをしない蕾にある美学自重に首をへし折るまでの
泡を立て肌の間で滑らせてお湯で流したあとは知らない
オジサンに肩を抱かれて指さされ「何だと思う、猛禽だよ」と
冴え渡る、意識に任せて三叉路の右を選べば焼き鳥の店
アナログな欲望によるデジタルな制圧を突くたった一点
発表の場所を待たれぬ創作の素振りのたびの蜂蜜の風
花を買い手に持ち帰る誇らしい気持ちに彼もあるのだろうか
これほどにまっさらになるはずはなかった誰のためにもならないほどに
どれもこれも扉の方から開いてくる難しいことなんていらない
取りこぼしなく誰ひとり置き去りにせずペテン師の顔を浮かべて
どこにでも向かう必要なんてなく身体のすぐそこ体の温流
水筒を持ち歩く人のパーソナルスペースはただ蛸壺のよう
車中泊する人と犬、朝になる「禁止されてる」とただ告げられる
わたしにも幾つかわけのあるように彼も彼女も事情があって
居酒屋のキレイキレイが水増して何度押そうがとりとめもない
誰からも祝福される恋愛は、今はまだしもいつになるのか